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その日の夜。 ルイズは悩んでいた。 風呂に行ってて部屋にいない使い魔のことで悩んでいた。 どのくらい悩んでいるかと言えば、ベッドの上であーうーと唸ったりごろごろ転がったり枕をかぶって足をジタバタさせるくらい悩んでいた。 ジョセフは有能だった。頭はよくて話し上手で強くて、波紋やハーミットパープルまで使える。使い魔としては申し分のない大当たりだった。欠点と言えば、父親よりも年上の老人で感覚の共有が出来ないくらい。 けれど有能なのも問題がある。 クラスメイトや平民の使用人から満遍無く好感を持たれているのもいいとしよう。見た目が不気味で他人から嫌悪されるよりは、笑顔を向けられる使い魔の方がいいに決まってる。 「……それにしたって限度があるわよ。最近、ジョセフに向けられる笑顔がイヤに増えてるわ。皇太子殿下や王女殿下から笑顔を向けられるのはいいのよ。それだけの働きを成し遂げられる使い魔だということだもの。 ただなんだ。ちょっと最近若い女からの笑顔がえらく増えてないかしら。 色ボケツェルプストーが色目を使うのは今に始まったことじゃあないわよ。だがだ。アルビオンから帰ってきてから色目の質が変わったのはどういうことよ。他の男どもにあんな情熱的な色目を向けていた記憶なんかないわよ。 あの黒髪のメイドもそうよ。あの決闘騒ぎでジョセフに助けてもらってからというもの、それこそ毎日擦り寄ってきてるわ……食事抜きの罰が全く効果ナシだったのも、あのメイドがいそいそと食事を運んできたからじゃない! モンモランシーだってそうよ。あのアホのギーシュとヨロシクやってるクセして、何かしら理由をつけてはジョセフに近付いて来てる様な気がするわ……。まさかギーシュからジョセフに乗り換えようとかそんなハレンチな企みがあるんじゃないでしょうね!?」 ぶつぶつぶつぶつと独り言が口から洩れていることすら気付いていない。ルイズの頭の中では洩れた思考の数倍のあらぬ考えが浮かんでは消えを繰り返していた。 どれくらいあらぬ考えかと言えば、常日頃ギーシュといちゃいちゃバカップルっぷりを見せびらかしているモンモランシーにさえ疑いの目を向けるくらいあらぬ考えだった。 「けど何が一番気に食わないって、ご主人様が側にいるのにあのジジイったらあーそりゃもう他の女が近寄って来たらデレデレ嬉しそうな顔して! アンタ孫もいる妻帯者だって言ってたんじゃないの! しかもなんだ。孫は17歳とか言ってたな。孫より年下のコドモの色香にメロメロか! どれだけ節操がないのよ! いい年してどんなに色ボケなのよ!? 首輪の綱をしっかり私が掴んでるからまだどうにかなってるけど、ちょっとでも手から離してしまったらどうなるかなんて考える前から腹立たしいわ!」 暴走したルイズの思考と、良く言えば若々しく率直に言えば子供っぽいジョセフの日頃の行いのハーモニーが、ルイズの思考を宜しくない方向へ加速させ続ける。 「――大体使い魔があんなにフラフラするかしら!? 他の使い魔はもっとほら、ご主人様好き好き好きーとかそういう感じじゃない!? なのにあのボケ犬ってば他の女にすーぐ鼻の下伸ばすのよ!?」 体の中から沸き上った激情に駆られたルイズは、両手で鷲掴みにした枕でシーツをぼふぼふぼふと乱打する。しばらくそうやっていれば当然腕が疲れるので、埃舞い散る枕をぽいと投げ捨てた。 「どういうことかしら、これは。由々しき問題だわ。 これは何が原因か。胸か。やはり胸なのか。いや待て、モンモランシーはそんなに大きくないわ。むしろ私と同じくらいだわ。胸じゃないのかしら。胸じゃないとしたら何が原因だというの。ちっとも判らないわ……」 答えの見えない思考の迷宮で彷徨うルイズの脳裏に、不意にアンリエッタの言葉が蘇った。 『――ああルイズ。ルイズ・フランソワーズ……忠誠には報いるところがなくてはならないのよ――』 その時ルイズに電流走る――! アンリエッタから与えられ、自分の指にはまっている水のルビーを見た。 アルビオンでの任務に当たった自分の忠誠に対して、こんな高価な宝物を頂いた。だが自分以上に奮闘したジョセフに対して、自分は何も与えていない。 王女殿下が臣下の忠誠に応えていると言うのに、その臣下が有能な使い魔に対して何も応えていないと言うのは、王女殿下の顔に泥を塗るような真似ではないだろうか。 「……でも、今のジョセフに何を報いたらいいのかしら」 食事は主人と同じもの。雑用もそんなに言い付けてはいないし、基本的に不自由な生活はさせていないはず。むしろジョセフが自分が待遇に関して不満を訴えたことがあるだろうか、と考えてみて、特になかったことに気が付いた。 『こんな可愛いご主人様の下で働けるんじゃ。老いぼれにゃ過ぎた幸せということじゃよ』とは言っていたが、それはそれこれはこれ。 「……ジョセフはどうにも隠し事をするタイプだから……言ってるコトが全部本当だと思うのは危険だわ……」 考えてみれば、ジョセフはちょくちょくルイズに対して嘘を言っていた。 召喚されたばかりの頃はボケ老人のフリをしていたし、アルビオンの時だって早々とワルドが裏切り者だと気付いていたのにそれを主人に告げたのは、ワルド本人が裏切りを宣言した後。 正体がバレた後もハーミットパープルを披露したのは少し時間が経ってからだった。 アルビオンの事だって、あれやこれや聞きたがるクラスメイト達を言葉巧みにはぐらかす弁舌を考えれば、果たしてジョセフはどこまで本当の事を言っていてどこまでが嘘なのか判断すらつかなくなってくる。 「あああああああ! なんで使い魔のことでこんなに悩まなくちゃいけないのよ!」 学園にいる多種多様なメイジの中で、使い魔との関係に悩むメイジはたった一人しかいないだろう。従って誰にも相談出来ない問題と言うのもルイズの焦りを加速させる。 そもそもジョースターの血統に連なる人間は危機的状況に陥った場合、親しい人間に自分の本心を隠す傾向がある。ジョセフの祖父ジョナサンも、父ジョージ二世も、母エリザベスも、娘ホリィも、孫の承太郎も、息子の仗助も。 何かしらの危機に際して立ち向かう時、危険に晒されるのは自分だけでいいと考え、親しい者には何も教えないまま……という傾向が強く見られる。 そんなジョースターの血統を色濃く受け継ぐジョセフも、魔法を持つルイズに対してはそれなりに本心を打ち明けている方だった。打ち明けている方なのだが、日頃の大嘘っぷりが信用を損なってしまうという……まあ言ってみれば自業自得と言うやつである。 「あああああ、私にもハーミットパープルさえあれば……! ジョセフの考えてることなんか全部つるっとまるっとお見通しなのに……!」 そしてまたベッドの上で仰向けになって足をじたばたさせる光景が繰り返された。 しかし、不意にルイズの足の動きがぴたりと止まる。足を止めたルイズの視線が、部屋の隅に広げられているボロ毛布に向けられていた。 (ああっ……! そうか、これよ、これだわ……!) 忠誠に報いるべき点が見つかった。 しかし本当にやっていいのかどうか。考えれば考えるほど危険なイメージが浮かばないこともない……が、その不安は指にはまったルビーを見ることで和らげる。 「……しっかりしなさい、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール……こ、これは……忠実な使い魔に対する御褒美なんだから……それ以上のことなんかないんだから……!」 はぁぁぁぁぁぁぁぁ、と波紋呼吸にも似た深呼吸をしながら、意を決してクローゼットに向かうとネグリジェを取ってベッドに戻る。そしてジョセフが戻ってこないうちに着替えてしまおうとボタンを外し、ブラウスを脱ごうと袖から腕を抜き始めたその時。 「帰ったぞー」 外でタイミング計ってたんじゃね? というくらい見事なタイミングでドアを開けて帰ってくる使い魔。 「ひ」 引き攣った悲鳴になりかけた音が口から洩れた次の瞬間、左手で素早く胸を隠し、右手で掴んだ枕を即座にジョセフ目掛けて投げ付けた。 「うお! 何すんじゃルイズ!」 「あ、あああああああんたレディの着替え中にノックもしないで入ってくるとかどういうことよ!?」 「いや待て、ちょっと前までわしに着替えさせてたじゃろ!」 「問答無用! いいって言うまで外に出てなさいよ!」 ルイズが杖を手に取ったのを見て慌てて部屋から出て行くジョセフ。 ジョセフはまたもどっぷり落ち込んで壁に凭れ掛かった。 ホリィがルイズと同じ年頃の時は、他の思春期の少女によく見られる、父親を嫌悪する様子はなかった。むしろベタベタと甘えてきたし、ジョセフもそれが当たり前だと思っていた。 十年振りに会った途端に義手の指を抜き取る、反抗期とか中二病とかそんなチャチなもんじゃないもっと恐ろしい孫は問題外として、世間並みと言える反抗期を初めて体験するジョセフには非常に辛い経験だった。 「わしが一体何かしたんか? 最近ルイズが冷たい……」 ジョセフとしては依然変わりなく小生意気で可愛い孫の世話をしているはずなのに、その孫が見せる反抗期っぷりにずっしり落ち込んでいた。 「……入ってもいいわよ」 躊躇いがちに聞こえたルイズの言葉があってから少々間を置いて、ジョセフは部屋に入る。ネグリジェ姿のルイズが、窓から差し込む月明かりに照らされていた。 ルイズはぷいと顔を背けながらも、部屋に入ったジョセフに向けてブラシを差し出す。 「……ほら、髪、梳きなさいよ」 着替えは見せないくせに髪は梳かせる不可解さにジョセフは首を傾げたが、それに言及するとまた怒鳴りそうなので、大人しくブラシを受け取って髪を梳いてやる。 艶やかな桃色のブロンドを梳き終わると、ルイズはベッドに横たわった。 机の上のランプに向かって杖を振ると、明かりが消える。持ち主の合図で付いたり消えたりする何という事はない魔法のランプだが、これでも随分と高価なものである。 窓から差し込む月明かりがほのかに部屋を照らす中、ジョセフはいつものように部屋の隅の毛布へ向かって歩いていく。 「――ねえ、ジョセフ」 髪を梳かせていた時から言うタイミングを逸し続けていたルイズだったが、喉の半ばで詰まっていた言葉をやっとの思いで吐き出した。 「どうした、ルイズ」 立ち止まって振り返るジョセフを見つめ、また喉につかえかけた言葉を懸命に続けた。 「い、いつまでも床ってのはあんまりだわ。だから、その、ベッドで寝ても……いいわ」 「は?」 思わずジョセフが聞き返した。 「か、勘違いしちゃダメよ! 床の上で寝てるのが可哀想だって思っただけなんだから! ヘ、ヘンなこととかしたら追い出すんだから!」 時折妙な行動を取りがちなルイズだが、今夜は一際奇妙だった。 相手のこれまでの行動や言動を把握して次に言うセリフの予言さえ簡単に出来てしまうジョセフでも、ルイズの次の言葉を予測するのは至難の業だった。 ベッドの端で毛布に包まって丸くなっているルイズの後頭部に向かって声をかける。 「いや、そりゃー床の上よりベッドの方がいいけどなァ。本当にいいんか?」 「いいって言ってるじゃない。何度も同じこと言わせないで」 こういう場合に遠慮しないジョセフは、それ以上は特に聞かずベッドに上がり込む。 枕が空いてるので遠慮なく頭を乗せ、ベッドが広々と空いてるので大の字に寝る。 「……寝てもいいって言ったけど。ご主人様より占有面積が多いってどういうことよ」 毛布からちょこりと頭を出し、我が物顔に寝転ぶジョセフを睨む。 「ああお構いなく」 「構うわよ! このベッドは誰のベッドだと思ってるのよ!?」 「それならそんな端っこで丸まってないでお前も遠慮なく手足を伸ばせばいいじゃろ。わしとお前の二人なら十分に大の字で乗れるぞ」 「……なら枕返しなさいよ」 「ん? んじゃこうすりゃいいんじゃないか」 ルイズが反応する間もなく、ジョセフの手がルイズを抱き抱えたかと思うとそのまま自分の横に引き寄せた。 「え?」 ルイズの頭が何かに乗せられた。普段使っている枕に比べて固くて高いが、頭の据わりはいい。 「え? え?」 頭を横に動かしてみる。 すると、ジョセフがすぐ真横にいる。 「え? え? え?」 ジョセフの腕がルイズの頭の下に、ルイズの頭がジョセフの腕の上に。 「え……えぇーっ!?」 つまり腕枕の形になっていた。 「あ、ああああああああああんたいいいいいいいいいいったいなななななななななにを」 今の自分がどんなことになっているか気付いたルイズは、間違いなく自分の顔から火が出ているとしか思えなかった。 「何って腕枕じゃが」 「いいいいいいいいいやそそそそそそそそそういうもんだいじゃああああ」 (昔はちい姉様によく添い寝してもらったけれど、それでも腕枕だなんて。それも、こんなおっきい男だなんて。いくら使い魔だからってここここここここれは) 「ふぁぁぁ」 思考が暴走しかけたルイズを引き止めたのは、暢気な欠伸だった。 ルイズに腕を貸したジョセフが早々と意識を手放そうとしているのを見て、これまでの躊躇いとか逡巡が全部無駄だったことに気付いた。 と言う訳でとりあえず。 「おふっ」 何のいわれもなく脇腹にチョップを入れられたジョセフが、ちょっと恨めしそうにルイズに視線を向けた。 「……何よ。せっかくご主人様が一緒のベッドで寝てもいいって言ってるのに特に感想もなく寝ようって言うのかしら」 「感想っつってもなー。いや、今までに比べたら随分と寝心地がいいがのォ」 「他にはないの」 「他? えーと、ご主人様の溢れる慈愛に感謝しとりますじゃとか」 「……まあいいわ」 ルイズは少しだけ口を尖らせたが、頭をもぞもぞと動かしてもっと落ち着きのある位置を模索した。 それからちょっとして、ちょうどいい角度を見つけたので本格的に頭をジョセフの腕に預けてしまう。 愛用の枕に慣れ親しんでいた感覚からすれば違和感はやはりあるが、それもそのうち慣れてしまうのだろう。 「……あふ」 ルイズの小さな欠伸が消えると、再び静寂が訪れる。 しかしジョセフは再び眠気を捕らえようとしているのに対し、ルイズは頭の中でぐるぐると益体もない思考を巡らせていた。 (……何よ。私だけが大騒ぎしてただけっていうこと? 馬鹿馬鹿しいわ) 最悪の場合、家族やアンリエッタ王女殿下にお詫びしなければならない事態も考えていた。けれどジョセフは、ルイズと同衾することは孫娘と一緒に寝ること以上でも以下でもないようだった。 (……そりゃそうよね。私は、孫よりも年下で……うん。ジョセフはお父様より年上だもの。そんなはしたないことになるワケがないじゃない。考えすぎだったのよ) けれど、それでも胸の奥をちくりと刺す様な痛みを無視できない。 それは本当に小さくて、無視しようと思えば簡単に無視できるけれど、ルイズはその痛みを無視したくなかった。 何故ならその痛みは、ルイズの中にある確かな痛みだったから。 「……ねえ、ジョセフ」 「んあ?」 少しまどろみかけていたジョセフのシャツの裾を、小さな手でちょっと握った。 「……眠るまで何かお話して」 「話か? んー、どんなのがいい」 「そうね……じゃあ、ジョセフのいた世界のおとぎ話なんか聞きたいわ」 「む、おとぎ話か。じゃあ、こんなのはどうかのう……」 昔、小さいホリィに話した記憶を思い出しながら、赤ずきんを話して聞かせる。 最初のうちは相槌も興味深げに打たれていたが、それも少しずつゆっくりとなり、少しずつあやふやになっていく。だがジョセフは、それでもおとぎ話を続けていく。 やがて安らかな寝息が立て始めたルイズは、ころり、とジョセフに向かって寝返りを打つと細い手を使い魔の胸に回した。 ジョセフは優しく目を細めると、ルイズの肩に毛布をかけてやった。 「……狼はお腹に詰め込まれた石が重くて、川で溺れてしまったんじゃ。猟師に助けられた赤ずきんとお婆さんは、三人でパンとワインをおいしく食べたそうな。めでたしめでたし……」 すう、すう、と規則的な寝息を立てるルイズを見て、ジョセフも今度こそはと目を閉じる。 やがて小さな寝息と、十分間途切れない寝息を重ねる二人を、ただ月明かりだけが照らしていた。 To Be Contined →
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「全く。手間のかかる子だわ」 ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールとジョセフ・ジョースターが、二人、凛と立つ。 垣間見えた表情は、あんな巨大ゴーレムを前にしてるというのに恐れなんか微塵も無い。むしろ敵とすら認識してない感じ。 ここまで随分と時間をかけさせてくれたものだわ。私達もそうだけど、フーケにしたっていい面の皮ってものだわね。あたしならここまでバカにされたら怒り狂うわ。 精神力は随分と消耗したし、気を抜いたら今にも眠ってしまいそう。こんな埃っぽい場所で徹夜だなんて肌に悪いわ。東の空なんか白み始めてるじゃない。 あの二人と来たら、戦場だというのに見てて恥ずかしくなるようなやり取りを平気でしてるし。あたし達が見てるってことを忘れてるのかしら。それとも気にしてないのかしら。あれは多分、気にしてない方だ。 あーあーやだやだ、これだからバカップルってものは。まあその御代としてこれからあのおチビをからかう材料くらいにはしとかないとワリに合わない。ダーリンはからかっても軽くあしらうけど、ルイズを恥ずかしがらせるトスだと考えたらそれはそれで。 「ごめんねータバサ。とんだモノに付き合わせたわね」 タバサは気にしてないと思うけど、それでも一応の礼儀として謝りは入れておく。 「あれはあの二人にとっての通過儀礼として必要と判断。どうせフーケはハーミットパープルで幾らでも追跡可能」 あ、でもちょっと眠そう。私以外には判りにくいくらい、無表情の陰に隠れてるけど。 ここからが本番なんだし、もうちょっと頑張るわよ。お互い。 それにしても。タバサのシルフィードにしたって、ルイズのジョセフにしたって。 私のフレイムは大当たりも大当たりのはずなんだけど。 ……自信なくすわー。 「で、ジョセフ。勝つ方法があるのよね。どうすればいいの」 「うむ。まず下準備がちと必要での」 ジョセフはひとまずルイズを背中に背負うと、いきなりゴーレムに背を向けて走り出す。 「ちょ! いきなり逃げるとかナシじゃない!?」 「じゃから下準備がいるっつったじゃろ!」 さっきまでのやり取りはどこへやら、普段の雰囲気に逆戻りした二人。だがあさっての方向に向かって走っているわけではなく、シルフィードが飛んでいる方向へ向かっている。 「タバサ! イチゴのパスケットを渡してくれ!」 ジョセフの声にタバサが風の魔法でイチゴ一杯のバスケットを包み込むと、そのままジョセフに向かって投げ渡す。 精密動作に優れたタバサの風は、イチゴの一つも落とすことなくジョセフにバスケットを届けた。 「この期に及んでイチゴなんか何の役に立つのよ!」 普通の人間は巨大ゴーレムの戦いにイチゴを持って行かない。ルイズの怒りももっともだ。 だが、ジョセフは背中のルイズにイチゴを一粒投げて渡し、自分も一粒口に放り込んだ。 「コイツがなァ……あのゴーレムをブッちめるわしの切り札なんじゃよ。ルイズよォ~~~」 ヘタを地面に吐き捨てて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべるジョセフ。 非常に信用ならないが、ルイズはイチゴと罵詈雑言を飲み込んで、言った。 「……信じるわよ」 「オーケーご主人様! んじゃ、もうちょい下準備に時間がかかりますんでのォ! もうちょい逃げさせてもらいますかのォ! 二人とも! もうちょい空におっとってくれ!」 ゴーレムを小馬鹿にするように、ジョセフは勢い良くクレーターばかりの地面を駆け巡る。 おんぶされているルイズには、見えないはずのジョセフの顔がありありと見えた。 (ブン殴ってやりたいほど楽しそうな顔してんだろうなあ。コイツ) その予想は全く外れていなかった。 そして一分ほど走った後、ジョセフはシルフィードのほぼ真下へと到着すると、大きく声を上げた。 「三人とも! あやつのドテっ腹にありったけの魔法をブチ込んでくれィッ! パーッと行こうじゃないかッ、せっかくのフィナーレなんじゃからのォッ!!」 と言ってから、ルイズにゆるりと振り向く。 「まだイケるか、ルイズ」 不眠で夜明けを迎えようとしている三人に対し、ルイズは仮眠をとっている。その瞳に疲労というものは一切なかった。 「誰に聞いてるのよ。私はアンタのご主人様よ?」 「オーケー! んじゃ、ハデにやっちまってくれィッ!!」 ジョセフの叫びと同時に、ゴーレムの胴体へ次々と魔法が打ち込まれる。 炎の槍が外皮を焦がし、風のドリルが胴体を抉り、ゴーレムの腹が爆発する。 しかしこれまで何度も繰り返されてきた光景と同じように、地面に落ちた土はすぐさま元あった場所に戻ろうとする。 だが。繰り返されようとした光景に、一人の男が駆け込んで割り込んだ。 頭に帽子、左手に剣、右手にイチゴ満載のパスケット、背中にピンク髪の美少女という珍妙な出で立ちの男は、元あった場所に戻ろうとする土塊目掛け…… 遠心力をフルに使ってバスケットを振り回し、大量のイチゴをばら撒いたッ! しかしばら撒かれたイチゴはただのイチゴではない。一分間走っている間にジョセフがくっつく波紋を大量に流し込んだ、特製波紋イチゴッ! 土塊に付着した大量のイチゴは、土塊達と共に浮かび上がり、ゴーレムを形成するパーツに含まれようとする。 そしてジョセフはバスケットを地面に投げ捨てると、続いて右腕をゴーレムに向けて突き出した! 「ハーミットパープルッ! イチゴを追いかけろッッ!!」 スタンドパワー全開で迸る紫の茨は、普段のように二、三本などというものではない。数十本もの茨が一斉にジョセフの右腕から奔り、再生しようとする土塊達の間を割ってイチゴ達を捕らえていく。 しかも今回迸ったハーミットパープルも、またただのハーミットパープルではない。 こちらはイチゴとは違い、大量の反発する波紋を流し込んでいる茨である。土塊の中に入り込んでも、茨に入った波紋が土塊を押し退け、茨が潰れることなどありはしない。 果たしてゴーレムは再生を遂げたものの、その胴体にはイチゴを追いかけて張り巡らされたハーミットパープルが、まるで人間の身体で言うところの血管のように割り込んでいた。 「さあこっからじゃルイズッ! 『ゴーレムの身体の中』にッ!! ありったけの『魔法』をブチ込んでやれィーーーーッッッ」 言われるまでもない。ジョセフが奔らせたハーミットパープルがイチゴを追って行った時に、やらなければならないことをルイズは既に理解していた。 ルイズは返事する代わりに、最初に使うべき呪文の詠唱をとっくに終え―― 「ファイアーボールッッッッ!!!」 今のゴーレムは、土塊がみっちりと詰まった通常のそれではなく、胴体に大量の隙間を作られたもの。そして閉鎖された空間で起こった爆発はエネルギーが逃げることも出来ず、開けた空間と比べて甚大な破壊力を持つことになる。 ルイズの呪文が完成したと同時に消えたハーミットパープルだが、反発する波紋をたっぷり流されたゴーレムは張り巡らされた空間に土塊を集めて再生することも出来ない。 しかもルイズの起こす爆発はジョセフをして「威力だけならわしの波紋のビートより遥かに上」とお墨付きの破壊力を持つ。そして思った場所に着弾させる命中率も非常に高い。 ハーミットパープルが隙間を作ったとは言え、その直径は大きくないどころか、狭いと言うしかない。だがゴーレムの表面では一度も爆発は起こらなかった。完成した空隙に爆発魔法が寸分なく入り込んだことの証明である。 とにかく早く、とにかく正確に。 『魔法成功率ゼロ』の仇名を払拭する為に幾百回も繰り返された練習の成果が今、ここで結実した。 ルイズが一度魔法を唱えるたびに、ゴーレムの中から爆発が起こり、胴体が見る見るうちに吹き飛び、削られ、消し飛んでいき―― 「これでもッッッッ!!! 食らえぇぇぇぇえええええッッッ!!!!」 裂帛の気合を込めた魔法が起こした、一際大きな爆発。 胸も腹も吹き飛ばされ、大地の重力に引かれた頭部が残った下半身に落ち、地響きと土塊混じりの突風が巻き起こり…… ゴーレムは、土塊の小山に成り果てた。 荒い呼吸を繰り返すルイズ。ルイズを背負ったまま、当然のように笑みを浮かべているジョセフ。シルフィードに乗ったまま、今しがた起こった出来事に大きく目を見開いているキュルケ。普段通りの無表情な唇の端に、ほんの僅かに笑みを乗せているタバサ。 ゴーレムを構成していた魔力も消し飛んだ土塊の小山は、もはやぴくりとも動かない。 「…………勝っ、た…………?」 まだ杖を突き出したままだったルイズの手が、くたり、とジョセフの肩に落ちた。 「勝った、わね……」 キュルケが、ごくり、と唾を飲み込んだ。 「勝った」 タバサが、こくり、と頷いた。 「ああ。わしらの勝ちじゃ」 ジョセフが、にやり、と笑った。 キュルケは花火のように歓喜を爆発させて、手近にいるタバサに抱き付いた。 「タバサタバサタバサタバサっ! やった、やったわよ、ルイズがやったわ!」 「見たら判る」 そう言いつつも、タバサはシルフィードを着地させる。まだシルフィードが着地しきってないのにキュルケは待ちきれないとばかりに地面に降り、二人に向かって駆け出す。 まだルイズは今起こったことが信じられないようで、ジョセフの背から降りてもこれが現実かどうか確かめようとほっぺたをつねって痛がっていた。 「ルイズルイズルイズルイズっ! あんたやったじゃない! やったわよあんた!」 小柄な身体を力いっぱい抱きしめると、そのまま勢い良く振り回す。 「ちょっ! やめ、目が回るっ!」 ルイズの抗議もなんのそのとばかりに振り回しているキュルケをよそに、ゆっくりと三人に歩いていくタバサ。 そんな時だった。 微笑ましげに少女達を見守っていたジョセフは、まるで操り人形が突然糸を切られたかのような唐突さで、地面に倒れ伏した。 「……え?」 やっとキュルケから解放されたルイズも、まだ抱きしめ足りないとばかりにもう一度ルイズを捕まえようとしていたキュルケも、やっと三人の近くにやってきたタバサも。 一瞬呆然と倒れたジョセフを見た後、慌ててジョセフに駆け寄って跪いた。 「ちょっ! ジョセフ!? ジョセフ!」 パニックになってジョセフの身体を両手で揺さ振り、懸命に名を呼ぶルイズ。 「ウソでしょ!? どうしたのよダーリン!」 キュルケも今起きた事態を把握すると、ジョセフから顔を上げてタバサを見た。 「……脈は、ある」 ジョセフの手首をつかんだタバサが、彼女には珍しくルイズにも判るほどの焦りを見せていた。ジョセフはルイズ達の呼びかけにも返事をせず、ただ目を閉じて倒れ伏していた。 「早く学院に連れて帰るのよ! 治癒してもらわなくちゃ!」 「判ってるわ! ジョセフをレビテーションで……!」 キュルケの声に、タバサが急いでレビテーションの魔法をかけようとした時、何者かがゆっくりと近付いてくる足音が聞こえた。 精神力もほとんど使い果たした三人は、それでも反射的に足音の主に杖を向けた。 だが、向けられた杖はゆっくりと下ろされることになった。 「……ミス・ロングビル……?」 その足音の主は、三人がよく見知った女性だったからだ。 魔法学院学院長オスマンの秘書である、ミス・ロングビル。 よくオスマンにセクハラされては彼を容赦なく殴り倒す、緑の髪に眼鏡の美女を見間違えるはずはない。 どうしてこんなところに? という疑問を三人が抱いたのも仕方がない。 しかしロングビルは、三人と、地面に倒れ伏したジョセフを一瞥し。 唱え終えていた呪文を完成させた。 その瞬間、彼女の横の地面が凄まじい勢いで隆起し。三人の少女が呆然と見上げる前で、あまりにも見覚えのありすぎるゴーレムが、立ち上がった。 「…………ど、どうしてっ…………」 呻きにも似た絶望的な声が、ルイズの唇から漏れる。 「ジジイがそのザマじゃあ、もうあたしの勝ちは決まったようなモンさ。あの時にちゃんととどめを刺しとけばこんな事にゃならなかったがねッ」 清楚で理知的な雰囲気はかなぐり捨て、汚い口調で吐き捨てるロングビル。 「ミ……いや、ロングビル! あんたがッ……フーケだったっての!」 キュルケの詰問に、ロングビルだった彼女は、嫌らしく笑った。 「その通りさ。あのドスケベジジイのセクハラされながらやっと破壊の杖を手に入れたってのに、まさかこんなに早く追いつかれるとは予想もしてなかったさ。しかも私のゴーレムが吹き飛ばされるだなんて、もっと思ってなかったがねッ!」 だがフーケは自分の勝利を信じて疑わない笑みで、ルイズ達に杖を向けた。 「だがあたしはまだゴーレムを用意できる! アンタ達にはジジイがいないッ! これがどういうことか判るかいッ! あたしはここでアンタ達を始末して、何食わぬ顔で学院に戻るッ! そして秘書ヅラして適当な教師を案内して、破壊の杖の使い方を吐かせるのさッ!」 勝利を確信したフーケは、自分の計画をさも楽しげに紡ぎ、貴族の小娘達を屈辱と敗北に塗れさせる言葉を投げていた。 だがフーケの期待とは裏腹に、三人はただ黙って聞いているだけだった。 そしてその瞳に、恐怖や怯えは全くない。それがロングビルの怒りを煽り立てる。 不意に、三人が、口を開き。全く同じ言葉を言ってのけた。 「次にお前は『このクソガキどもがゴーレムで踏み潰してミンチにしてやる』と言う」 「こっ……このクソガキどもが! ゴーレムで踏み潰してミンチにしてやッ……はッ!?」 今から言うはずだった言葉を言い当てられて虚を付かれる。 「ファイアーボールッ!」 フーケが我に帰った瞬間、ルイズの魔法が炸裂し、爆風がフーケが一瞬前にいた空間で炸裂する。 「こッ……このクソガキがァーーーーーーッッッ」 爆風から間一髪逃れたフーケは、すぐさま三人めがけて魔法を撃とうとし……晴れていく土煙の向こうに、信じられないものを見た。 三人の少女は地面にしゃがみこみ、両手で耳を塞いでいる。 そしてその後ろには、確かに自分が盗み出したはずの破壊の杖を構えているジョセフ―― 凄まじい爆音が轟き、自慢のゴーレムの上半身が消し飛んで。下半身しか残っていないゴーレムが土塊の山に戻る光景さえ、満足に見届けることが出来なかった。 フーケは知らない。ジョセフが倒れたのは自分を誘い出す為の罠だった事を。倒れたままハーミットパープルを三人の後頭部に這わせ、骨伝導の理論を用いて言葉を伝えていたことを。 何より、ジョセフに三回も同じ手を使うことは、凡策を通り越して愚策だということを。 次の瞬間、デルフリンガーを構えたジョセフがフーケの眼前に飛び込み……デルフリンガーの柄が、彼女の鳩尾にめり込んでいた。 「ま…これで戦いの年季の違いというのがよおーくわかったじゃろう。『相手が勝ち誇ったときそいつはすでに敗北している』、これがジョセフ・ジョースターのやり方。 老いてますます健在というところかな」 その言葉を最後まで聞くこともなく、フーケは土塊の残骸に崩れ落ちた。 To Be Contined →
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舞踏会から一週間ほど経ったある日の朝。 今日はジョセフが珍しく授業前の教室に来たという事で、ルイズ達の周りには友人が集まってきていた。 「今日は雨が降るかもしれないわね。勉強嫌いのダーリンがどうしてここに?」 キュルケが一同を代表して全員の疑問を質問した。 「あー、今日は特に仕事もないんでのう。せっかくだからご主人様の授業参観でもしようかの、と」 要するに暇潰しという事である。 「全く、平民のクセに栄えあるトリステイン魔法学院の授業を暇潰しとか言うだなんてどういう神経してるのかしら。主人の躾が疑われるじゃない」 口ではそう言っても、悪い気分でないことはルイズを知る面々からはバレバレだった。 「あらミス・ヴァリエール、大好きな使い魔と一緒にいられる時間が増えて嬉しいって顔してるわよ?」 それを看破したうちの一人であるモンモランシーは、実に愉快げな笑みを浮かべてルイズをからかいに回った。 「なななな何を言ってるのかしらモンモンランシー!」 「モンモランシーよ! そんな妙な呼び方で呼ばないでいただけるかしら!」 「何よ! アンタなんかギーシュとバカップルっぷりを振り撒いてたらいいんだわ!」 「なななな何を言ってるのかしらミス・ヴァリエール! わわわ私がいつギギギギーシュとババババカップルだったというのかしら!」 ルイズの素早い切り返しに動揺を隠せない彼女の横に、意味もなくギーシュが現れた。 「ああ二人とも僕のために争わないでおく――」 金髪の少年は爆発に巻き込まれて吹き飛ばされた。 「ああギーシュ! このゼロのルイズ、ギーシュになんて事してくれるのよ!」 バカップルを否定した舌の根も乾かぬうちに、ボロボロになって気絶したギーシュへ慌てて駆け寄るモンモランシー。 「なんつーか平和じゃのう」 当のジョセフはルイズの席の横の床にあぐらを掻いて、まったりとスラップスティックな教室を観賞していた。その柔和な微笑みで少年少女を見守る様子はやはりどうやっても気のいいデカいおじいちゃん、という雰囲気を醸し出す助けにしかなってなかった。 「そうとても平和だわね、次の授業はつまんないミスタ・ギトーだから二人で愛のサボタージュしましょダーリン?」 後ろから抱き着いてくる二つの巨大な感触に鼻の下が大きく伸びるジョセフ。気のいいデカいおじいちゃんからドスケベジジイにジョブチェンジである。 「いや、それも非常に嬉しいお誘いじゃのう」 少し高い体温とナイスバディなキュルケに抱き付かれて悪い気がしないのは当然である。 だが時と場合を考えなければ酷い事になるということを、ジョセフはうっかり失念した。 ゴゴゴゴゴゴゴゴ、と特徴的な書き文字をバックに、異様な威圧感を纏った気配を背後に感じて振り返った時にはもう遅い。 怒りに震える主人が引きつった笑いを浮かべながら、乗馬鞭で掌を叩いていた。 「OK落ち着こうご主人様。ここはクールに。な?」 「私はとても落ち着いてるわジョセフ……まるで風の吹かない真夏の夜みたいにね……」 ちっともクールではない例えと共に鞭を振りかざすルイズと、一目散に教室中を逃げ回るジョセフ。 クラスメイト達の生暖かい視線を存分に受けながらの朝の運動を終えて、呼吸も荒く席に戻るルイズと息一つ切らさずルイズの横の床にジョセフが座ると、教室のドアが開いた。 開いたドアから入ってくるミスタ・ギトーの姿に、これまでさんざ楽しげに振舞っていた生徒達はピタリと静かになり、一斉に席に着く。 長い黒髪に漆黒のマント、痩せぎすの身体とこけた頬。 外見からしてジョセフは(うわぁ、陰気くせえ。しかも陰険丸出しな顔しとる)と判断をつけた。事実、不気味な外見と冷たい雰囲気の為に生徒達からの人気はルイズの胸以上にない。 「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は『疾風』。疾風のギトーだ」 教室中が沈黙に包まれる。疾風の二つ名とは裏腹に、微かにも風が揺らがない教室の雰囲気にジョセフは(くそ、こんなクソガキの授業じゃ暇潰しどころか不愉快なだけじゃないか。失敗したわい)と舌打ちした。 だが平民で使い魔な男の苛立ちなど目にも入っていない様子で、教室を睥睨して満足げに笑ったギトーは言葉を続ける。 「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」 「『虚無』じゃないんですか?」 「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いてるんだ」 いちいち嫌味な物言いをするギトーに、キュルケは普段から彼に対して積み重ねていた怒りを掘り起こした。 「そんなもの、『火』に決まってますわ。ミスタ・ギトー」 怒りを笑みに織り交ぜ、芝居がかった口調で不敵に笑うキュルケ。 「ほほう。どうしてそう思うのだね。一応キミの御高説を拝聴しようか」 「全てを燃やし尽くせるのは炎と情熱。風は火を燃やす助けにこそなっても、燃え盛る炎を消し飛ばすことは出来ませんものね?」 挑発めいた物言いにも、ギトーは口端をゆがめただけの笑みを浮かべるだけだった。 「残念ながらそうではない。事実に基づかない妄想は早いうちに捨て去るべきだ」 ギトーは腰に差した杖をわざとゆっくりした動きで抜くと、言葉を続ける。 「試しに、この私に君の得意な『火』の魔法をぶつけてきたまえ」 キュルケはおおよその意図を理解した。つまり風の魔法が最強だと言いたいが為の生贄として、この教室の中でも目立ったトライアングルメイジである自分を指名したのだと。 真正面からぶつかって勝てる可能性を頭の中で考えて、おそらくは不利と読んだ。 どの属性が最強か、というのは太古の昔から議論され続けてきたことだが、明白な結果が出たことはない。使い所と純粋な魔力量でその場においての最強が決まるのだから。 そう考えれば、この時点では魔力の差でキュルケの火とギトーの風のどちらが強いか、ということだが、教師である向こうは生徒の力量を把握した上で指名している。 「どうしたね? 君は確か、全てを燃やし尽くせるとか言う『火』の魔法が得意ではなかったのかね?」 挑発するようなギトーの言葉に、キュルケの眉間に深い皺が刻まれ。ちらり、と横を見た。 「――火傷ではすみませんことよ?」 いいだろう。喧嘩を吹っかけてきたのは誰あらぬギトーだ。それはこの教室にいる全員が証明してくれる。 「構わん。本気できたまえ。その、有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないのなら」 既にキュルケの顔からは、いつもの余裕めいた笑みは消え失せていた。 胸の谷間から杖を抜くと、彼女の怒りを体現して燃え上がったかのように赤毛が逆立つ。 杖を振れば差し出した右手の上に、小さな火の玉が現れる。そこから更に呪文を詠唱し続ければ、見る見るうちに膨れ上がった火の玉は直径1メイルほどにもなった。 生徒達が慌てて机の上に隠れる。 キュルケは膨れ上がらせた炎の玉を頭上に掲げれば、炎に照らされた彼女の顔には、怒りを隠そうともしない凄絶と称してもいいほどの笑みが色濃く浮かんでいた。 そして炎の玉に杖の先を向けると、勢い良くギトーに向けて杖を振り下ろした。 炎の玉は狙い違わず唸りを上げてギトーへ奔るが、その火の玉を避けようともせずに鼻先で笑いながら、手に持った杖を振ろうとし…… ギトーは、襲い来る火の玉に飲み込まれ、教壇ごと吹き飛ばされた。 盛大な爆発音と巻き起こる炎は一瞬で消え去り、後にはちょっと前まで教壇だった残骸とちょっと前までギトーだった黒焦げの半死人が転がっていただけだった。 机の下から這い出てきた生徒達がその光景を見た次の瞬間、あれほど静かだった教室には盛大な歓声が巻き起こっていた。 生徒達の歓声や口笛が巻き起こる中、キュルケは悠然と手を振って観客達の祝福に応えた後、たおやかな足取りでジョセフの方へと歩み寄ると、彼とハイタッチを交わした。 今、何が起こったかを説明するとすれば、ミスタ・ギトー殺人未遂の主犯はキュルケではあるが、共犯はジョセフであるということだけだ。 先ほどちらりと横を見てジョセフに目配せをしたキュルケは、教室中の視線を自分に集める役割を買って出たのだ。きっとギトーになんらかのイタズラを仕掛けてくれる事を期待して。 ジョセフは、キュルケの見立てを裏切ることはなかった。むしろジョセフもギトーの物言いに怒りを覚えていた為、喜んでこの悪巧みに乗ったのだ。 出来るだけ見た目が派手になるように、そして破壊力の高さを誇示するように膨らませた火の玉を作ることで、ルイズの爆破で机の下に潜るのに慣れている生徒達を机の下に潜らせた。 そして頭上に火の玉をかざすことで、ギトーの視線をもキュルケに釘付けにさせた。 誰の目からもノーマークとなったジョセフは、何食わぬ顔してハーミットパープルを教室の隅に通らせてギトーの足元に滑らせ、杖を振ろうとした瞬間にたっぷりと波紋を流し込んだのである。 「あらあら、何やら風の魔法を自慢しようとなさったみたいですけれど。ご自慢の黒髪がわたくしの情熱に焼かれたという証明になっただけでしたわね、ミスタ・ギトー?」 その言葉を不謹慎だと諌める生徒は勿論おらず、更なる爆笑を呼び込んだだけだった。 「でもあんな種火程度で死なれては栄えあるツェルプストー家にいらぬ汚名がついて回りますわね。もし宜しければ皆様御存知の『疾風』のギトー先生にどなたか『治癒』を!」 笑みを噛み殺しきれない数人の生徒が、ギトーに近付くと『治癒』にかかる。 ルイズはキュルケとジョセフの悪巧みを目撃した……と言うより、真横にいたジョセフがハーミットパープルを伸ばしているのをどうやっても目撃する立ち位置だった。 にっくきツェルプストーにジョセフが協力したのは気に入らないが、それ以上に気に食わないギトーをブッちめた事を考えれば帳消しにしてやってもいい。 「さすが私の使い魔ね。誉めてあげてもいいわ、ジョジョ」 椅子に座り直しながらのルイズの言葉に、ジョセフは恭しく帽子を脱いで会釈した。 「光栄の至り」 そんな生徒達の歓声に満ちた教室の扉がガラリと開いて、緊張した面持ちのミスタ・コルベールが現れた。 頭に馬鹿でかいロールが左右に三つずつ付いた金髪のカツラを被り、ローブの胸にはレースの飾りや刺繍やら、他にも色々とありとあらゆる飾りを付けていた。本人はめかしているつもりだったのだろうが、気分が最高にハイになっている生徒達の爆笑を誘う結果となった。 「何を笑っているのです! ミスタ・ギトー……」 時ならぬ爆笑に気分を害したコルベールは授業の受け持ちであるギトーの名を呼ぶが、ギトーは数人の生徒達に囲まれて『治癒』の魔法をかけられているところだった。 「な、何があったのですか! まさかまたミス・ヴァリエールが!?」 教室に来てみれば教師が黒焦げになって死に掛けている。そこから導き出される結論としては、非常に妥当なものとも言えたが、濡れ衣を着せられたルイズはむ、と頬を膨らませた。 「いいえ、ミスタ・コルベール。ミスタ・コルベールも御存知の『疾風』のギトー様は、御自分の風の魔法を自慢しようとしたのですけれど、わたくしの情熱を込めた火の魅力にすっかり骨抜きになったところですの」 キュルケの楽しげな説明に、コルベールは眉間に手をやった。 (……生きてるようだしよしとするか。彼もこれに懲りて少しでも尊大な性格が直ればいい) コルベールもギトーには含むところがあったようで、彼に同情の念を抱くことも無かった。 「だがミス・ツェルプストー、後で事情を聞かせてもらうから学院長室に来るように。曲がりなりにも教師をあのようにしたのだから何らかの罰は受けてもらわねばならないからね」 はーい、と悪びれた様子も無く笑っているキュルケに多少の頭痛を覚えながらも、ここに来た当初の目的を果たすべく口を開いた。 「……おっほん。えー、今日の授業はすべて中止であります!」 重々しい調子で告げられたコルベールの言葉に、教室から先程のそれにも負けるとも劣らない歓声が巻き起こる。その歓声を両手で抑えるように振りながら言葉を続けた。 「えー、皆さんにお知らせですぞ」 もったいぶろうとのけぞり気味に胸を張ったコルベールの頭から、ぼとりと馬鹿でかいカツラが滑って床に落ちた。ただでさえ空気が暖まっている教室と、箸が転がってもおかしい年頃の生徒達の笑みを留めることは出来はしない。 そこから更に一番前に座っていたタバサが、コルベールのハゲ頭を指差してとどめの一撃を呟いた。 「滑落注意」 教室の爆笑は今日一日の中でも最高のものだった。 存分に気分を害したコルベールがものすごい剣幕で怒鳴り散らし、流石に空気を読んだ生徒達はひとまず黙る。だが誰かが少しでも笑いを堪え切れず吹き出せば凄まじい勢いで感染することは請け合いだった。 けれどその後にコルベールが告げた、トリステイン魔法学院にアンリエッタ王女が行幸する、という言葉を聞いた生徒達の興味は一気にそちらへと引き付けられた。授業が中止になる上に、まさか王女殿下の姿を見ることも出来るとなれば、貴族子弟を高揚させるには十分だ。 歓迎式典準備の為に正装し、門に整列する旨を告げられた生徒達は一様に緊張した面持ちになると、一斉に頷いた。ミスタ・コルベールは満足げに頷くと、目を見張って声を張った。 「諸君らが立派な貴族に成長したことを姫殿下にお見せする、絶好の機会ですぞ! お覚えがよろしくなるよう、しっかりと杖を磨いておきなさい! 宜しいですかな!」 そしてコルベールは他の教室にもこの旨を連絡すべく教室を早足に出て行く。 あまりにも慌てていたので、コルベールは落ちたカツラを忘れてしまっていた。無論、悪戯盛りの生徒達がこんな絶好のチャンスを見逃すはずも無い。 マリコルヌが用意した羊皮紙を、教室中の生徒に回して次々と署名を並べていく。当然、ジョセフもその末席に名を連ねた。 保健室に運ばれたギトーは、数時間後に目を覚ました時に馬鹿でかいロールのついたカツラを被せられていたのに気付き、自分の自慢の黒髪がチリチリに燃えてしまったのにも気付き、そして極めつけの手紙にも、気付いた。 「我ら生徒一同が敬愛しその名を忘れることのない『疾風』のミスタ・ギトーへ しばらく不自由でしょうからそのカツラを進呈いたします」 最後に、キュルケを筆頭に教室にいた生徒達の署名がずらりと並んだ手紙と悪趣味なカツラは、風の刃でズタズタに切り裂かれることになった。 To Be Contined →
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巨大な翼で空を我が物と舞う風竜とグリフォン。 風竜シルフィードの背に乗るルイズは、グリフォンを駆るワルドと再度の対峙を果たす。 最初に視認した時は豆粒程度にしか見えなかった幻獣は、見る見るうちにその姿が見えてくる。 すぐさまグリフォンの背に乗る男の顔が見えた時、ルイズは辛そうに男の名を呼んだ。 「……ワルド……」 ルイズは既に理解している。 彼女の憧れの人はもう自分の前には帰ってこないのだと。 あれは優しい子爵と姿形が同じなだけの、薄汚れた裏切り者。勇気溢れる皇太子を暗殺しようとし、大切な使い魔のジョセフを傷付けたおぞましい存在。 それだけではない。ジョセフの視界を通して見たものは、彼が既に健全な人間でないことすらありありと示していた。どこの人間が、腕を吹き飛ばされて数秒も経たないうちに腕を生やすことができるのか。 あの悪名高いエルフだとて、その様に怪奇な生態を持つとは聞いた事が無い。 倒さなければならない。 名誉あるグリフォン隊の隊長でありながら、始祖ブリミルの末裔である三王家の一つ、アルビオン王家を恐れ多くも薄汚い刃で打ち倒したレコン・キスタの走狗に成り下がった彼を。トリステイン王家に仕えるヴァリエール公爵家の三女として、討伐しなければならない。 判っている。判っている。 だが、心が縮こまっている。 今、この空の中でワルドと戦えるのは自分一人。 フーケと戦った時はタバサも、キュルケも……ジョセフも、いた。 だが、今は自分一人だけ。 タバサはシルフィードの操縦に神経を注がなければならないし、キュルケもギーシュもここに来るまでのフライで精神力を使い果たしてシルフィードの背に倒れている。意識があるだけでも大したものだと言うしかない。 ゼロと呼ばれるおちこぼれメイジが、果たしてスクウェアメイジであるワルドと戦って勝てるのか? いや、そもそも戦いと呼べる行いになるのだろうか? (それに……今のワルドを倒すと言う事は……) 深手を負わせて戦闘不能に持ち込む、などという結末は考えられない。多少のダメージなら瞬時に再生させるワルドを倒すということは、つまり。 ワルドを殺害するということ。 「……やら、なくちゃ……」 知らず、言い聞かせるような呻きがルイズの唇から漏れた。 「……やら、なくっちゃ……!」 ルイズはまだ16歳の少女でしかない。 「やらなくちゃ、いけない、のよ……!」 手に持った杖を、固く、固く、握り締めて。 「私がやらなきゃ……誰が、するのよ……!」 左目を占める視界。ジョセフは、空中で姿勢を立て直し、落ちていく岬に着地したようだ。落ちる地面を走るジョセフの視界は、まだ何かを試みようとしている。 使い魔が諦めてもいないのに、主人がこんな体たらくでどうするというのか。 なおも絡み付こうとする弱気の靄を振り払うように、叫んだ。 「私は、貴族! 名誉あるヴァリエール公爵家三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール!! 私は……目を背けない!!」 全ての靄を振り払えた訳ではない。 かつての憧れの人を殺さなければならないほどの覚悟を、一介の少女に持てと言うのは困難だ。しかもルイズは泥の中に浸かった人生など送っていない。 温室育ちで世間知らずの少女でしかないのだ。 そんな彼女が戦いを放棄せず立ち向かおうとするだけでも、多量の覚悟は必要だった。 しかし、それでも、どちらかの殺害でしか終わらない戦いに身を投じ、相手を殺して生存するだけの覚悟には、まだ届かない現状。 これが地球ならば、馬に跨る騎士同士が互いに馬上槍を構えているだろう。 ハルケギニアの上空では、グリフォンに跨った魔法衛士と、風竜の背に乗った華奢な少女が、互いに杖を向け合い―― 「ライトニング・クラウド!!」 「ファイアーボール!!」 二人の詠唱が同時に完成し、空気を震わせて放たれた稲妻はルイズの失敗魔法が起こした爆発で吹き飛ばされた。その間に二騎の幻獣は猛スピードで擦れ違い、再び接近する為に大きな旋回に入る。 「……おお! 今のはいい防御手段だねミス・ヴァリエール!」 シルフィードの背に倒れたままのギーシュが、破壊力の高いライトニング・クラウドを巧妙に防いだのに賞賛の声を上げた。 「あ、ああああああ当たり前じゃない! ままままま正に計算通りだったわね!」 「……思った通りまぐれ当たりだったわね」 判りやすいルイズの反応に、ギーシュと同じく背の上で倒れたままのキュルケが呟いた。 ルイズ本人はワルド目掛けて魔法を放ったつもりだったが、左目は今もジョセフの視界が占有している為、右目だけで狙いを付けなければならない。 人間は二つの目で見ることによって遠近を測っているので、片目だけとなると途端に距離感が掴めなくなってしまう。特にもう片方の目に全く別の光景が映し出されているとなれば、狙いも何もあったものではない。 ワルドを狙ったはずの爆発は照準より遥かに前で爆発し、そこに運良く稲妻が直撃したのが今起こった出来事だった。 「けれど今のは効果的。敵も初撃で勝負を決められなかった以上、次からはライトニング・クラウドを撃ち辛い。詠唱も長い上に精神力の消費も激しい」 手綱を握るタバサが、風のメイジからの見解を述べる。 「敵に強力な魔法を詠唱させる時間を与えなければいい。ある程度の攻撃なら、私とシルフィードが避けてみせる」 視線をワルドに向けたまま、振り返らずに淡々と言葉を紡ぐ。 自分よりも小柄な少女の背が、ルイズには何故かとても大きなものに見える。何故そう見えるのか、ルイズにはすぐ思い至った。 (……そうよね、召喚した使い魔は風竜だもの。それだけ実力の高いメイジだってことだわ……) だがルイズはそこで落ち込むようなことは無い。 自分が召喚した使い魔は、ジョセフ・ジョースターなのだから。 「お願いするわ」 一つ、唾を飲み込むと杖を構え直す。再び接近していくワルドに対して爆発魔法を放っていくが、高速で飛行するグリフォンに狙いの定まらない爆発を命中させるのは至難の業だった。 詠唱時間がほとんど必要ないルイズの爆発魔法を武器として、シルフィードの素早い旋回と高速移動を駆使してヒット&アウェイを繰り返す――のがルイズ達の基本戦術だったが、片目しか使えない為に照準が殆ど合わないのが致命的だった。 数打てば当たる、とばかりに魔法を連発しても、ワルドの付近に爆発を集中させるのも一苦労と言う始末。 それだけでなくワルドからの攻撃をかわすためにシルフィードは高速機動を繰り返している為、体中の血と内臓が上下左右へと振り回されるのも命中を阻む要因だった。 時折グリフォンやワルドに爆発が掠りはするものの、ワルド自身は多少身体が爆ぜた所で何事もないように再生する。グリフォンも元とは言え魔法衛士隊グリフォン隊隊長の乗騎だけあり、多少の負傷では怯みもしない。 数十秒も経たぬ内に渇き始めた喉に唾を飲み込ませ、恐れにも似た焦りをルイズは感じた。 (まずい……このままじゃ、そのうち……押し負けるかもしれない……) 決定力不足はどちらもあるにせよ、操縦者の強靭さの利は圧倒的にワルドに分がある。 こちらは下手に魔法の直撃を受ければ命の危険があるが、ワルドは完全な直撃を受けない限りは倒せないのは数度の交差で証明されている。 せめて両目が使えれば狙いも定めやすいが、今も左目はジョセフに占有されていた。 (ああ! もう! ジョセフ、アンタ邪魔よ! ちょっと引っ込んでなさいよ!) 不満を声にしないのは、せめてもの情けだった。 しかし次の瞬間、左目に映った光景に僅かに言葉を失った。 「……どうしたのよ?」 呪文の詠唱が止まったルイズに、訝しげな声を掛けるキュルケ。 だがルイズはキュルケの疑問に答える事無く、タバサに声を投げた。 「――ミス・タバサ。ワルドのスピードを……少しでも殺せるようにして」 「了解。全員、落ちないように気をつけて」 何故、とは聞かずにすぐさま呪文を唱えてシルフィードの背の上に半円状の風のバリアを張り、シルフィードをグリフォン目掛けて接近させる。 「え!? ちょ!?」 タバサに頼んだルイズ本人ですら、突然のスピードアップに驚きの声を上げた。 「少しの怪我を躊躇っては勝てる相手ではない……『突っ切る』しかない。貴方達も腹をくくって」 突如突撃してくるシルフィードに、好機と見たワルドは風の刃を連射する。 当たれば掠り傷では到底済まない刃の嵐の中を凄まじい加速で敵騎に突撃させられ、きゅい!? きゅいーーー!! とシルフィードが懸命に抗議らしい鳴き声を上げるが、タバサは一向に気に介さない。 数秒も要さず互いの表情の変化が見える距離まで近付いたその時、無理矢理にシルフィードを下降させる。 体長6メイルもある巨体が高速で移動することにより、シルフィードの付近に存在した大気は塊となり、シルフィードの周囲に纏わり付く。しかしシルフィード本体が突然進行方向を変えてしまえば、大気の塊は慣性の法則に従わざるを得ない。 ワルドが駆るグリフォンも、風竜が突撃する速度で巻き起こされた大気の塊の直撃を受けては機動を狂わせざるを得なかった。 グリフォンに命中した大気は爆発するような勢いで拡散して不可視の渦と変貌し、巨大な身体を持つグリフォンを揺さ振っていく。 渦に巻き込まれ大きく体勢を崩したにも拘わらず、それでもグリフォンは再び翼を大きく広げで揺らいだ態勢を立て直す。 こんな状況ですら、ワルドはグリフォンから落ちてはいなかった。 片手で手綱をしかと握り締め、両足は鐙から外れてもいない。 それはワルドの騎乗技術の高さを如実に示すものだった。 「この程度で何がどうなるという訳でも――」 ワルドの言葉はそこで途切れた。 何故なら、彼の両目には見えてはいけないものが見えていたからだ。 「馬鹿なっ! そんなっ……そんなことが……っ、あって、たまるか!!」 思わず漏れたのは、シェフィールドより二度目の生を与えられてからは口にしなかった、明らかな焦りの叫び。 「貴様は……貴様は! 一体何者なのだ!? 貴様は一体何なのだ、ガンダールヴ!!」 青い空と白い雲を突き上げて伸びてくる紫の奔流――ハーミットパープル。 まるで滝が天に遡るようなハーミットパープルは誰の目にも違う事無く、ワルドを目標として迸っていた。 シルフィードに乗ったルイズの存在を、一瞬だけとは言え完全に思考から消し去ったワルドは必死にグリフォンを上昇させて茨を回避しようとするが、茨は凄まじい勢いを僅かにも減ずるどころか、むしろ加速度的に勢いを増してワルドへの距離を縮めていく。 「ち……近付くなっ!!」 風の刃が何振りも生み出されては茨を鋭く切り刻んでいくが、幾ら切り刻んでも茨を駆逐することなど出来はしなかった。 それどころか、時間が経つごとに刃は茨を傷つける事が出来なくなっていく。 最初は一振りで何本もの茨を切っていた刃が、一振りが三本、二本、と切る数を減じていき、やがて一本の茨を断つのに数本の刃を要するほどになっていた。 ワルドの精神力が枯渇しているわけではない。 ハーミットパープルが、さしたる時間も要さないうちに進化を遂げていたのだ。 ワルドが高速で逃れようとすれば追う速度を増し、切り払われれば耐久力を上げる。 ワルドは知る由もない。 スタンドとは生命エネルギーが作り出す、パワーを持つヴィジョンということ。精神力次第で能力が高まるということ。ハーミットパープルの能力は遠隔視、念写、探索ということ。 それらをワルドは知らない。知るはずもない。 今、ジョセフが落ち行くニューカッスルの岬に両足でしかと立ち、右手を空に向けて振り上げている事など、判るはずもなかった。 * ルーンが太陽の如く輝く左手にはデルフリンガーを固く握り締め、空高く掲げた右腕からは大木と見紛う大量の茨がワルドへ向かって奔っている。 無論、何の代償も払わないままでは、例えガンダールヴの能力を駆使したとしてもハーミットパープルがこれだけの劇的な効果は発揮できない。 ジョセフは自らの生命エネルギーと精神力を、絞り出せる限り搾り尽くしていた。 「逃げ足だけは……大したモンじゃあないかッ……この、若造が……ッ!」 先程受けた挑発を不敵な笑みの形に歪めた口から吐き出す。 ジョセフは自分のスタンドがどのような能力を持っているか、何が出来て何が出来ないのかをよく理解している。 だから彼は、ニューカッスルに降り立つとすぐさま一縷の望みを賭けた博打として、その場所へ走った。 『昨夜切り落としたワルドの左腕があるはずのゴミ捨て場』へ。 結果、ジョセフは賭けに勝った。 屋根付きのゴミ捨て場は崩壊した城に巻き込まれず、捨てられていた左腕もゴミに混ざって残っていた。 後はワルドの左腕を媒介とし、ハーミットパープルでワルドを『探索』させるだけ。 左目に映るルイズの視界には、必死にハーミットパープルから逃れようとするワルドの姿がはっきりと見えている。 僅かにでも油断すればハーミットパープルに巻き付かれる状態では、ルイズ達にも満足な攻撃を仕掛けることは出来ない。 必然的に、少しずつ、しかし確実に包囲網は狭まっていく。 ハーミットパープルがワルドの身体を掠める回数は間隔を縮め、ルイズの爆発もまた段々とワルドを捕らえる様になっていき―― デルフリンガーが、いつもの飄々とした語り口ではなく、興奮を隠さない叫びにも似た声を上げ、鍔口をけたましく鳴らしていた。 「いいぜ相棒ッ! そうだ、俺は六千年前にもお前に握られていた! 今、俺が見ているのは間違いなくガンダールヴの姿だッ! 神の左手ガンダールヴ、勇猛果敢な神の盾! 左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる……そのままだ! 俺は、お前と一緒に戦ったッ!」 デルフリンガーの言う通りだった。 左手に剣を握り締め、右手からハーミットパープルを伸ばすその姿。 遥か上空へと伸びる紫の茨は、巨大な槍を掲げる姿を想像させた。 「だがッ! そんな伝説の使う技に名前がないんじゃ締まらないッ! だから俺がお前の技に名前を付けてやるッ!」 熱狂したような叫びに、今まで返事をしなかった……いや、することの出来なかったジョセフがやっと口を開いた。 「奇遇じゃなッ……わしもずっと考えてたッ……じゃが、叫ぶタイミングがなかったッ……」 今、ワルドは巨大な掌にも似た茨の中に囲まれていた。 遂に一本の茨が風の刃を耐え凌ぎ、ワルドの脚を捕らえた。 逃げようとするグリフォンと絡め取ろうとする茨に引っ張られ、ワルドの身体が凄まじい勢いで折れ曲がる。 「んじゃあよ、一緒に叫んでみようぜ! ここがクライマックスなんだからなッ!」 「おうよッ……それじゃいっちょ叫んでみっかァ……!」 それを切っ掛けとして、茨達が一斉にワルドに飛び掛る。 デルフリンガーが叫ぶ。 「行くぜッ! これが伝説の使い魔、ガンダールヴの力ッ!」 続いてジョセフが叫ぶ。 「コオオォォォオオオッッッ!! 響け波紋のビィィィィィトッッッッ!!!」 もはやワルドは茨から逃れることは出来なかった。 無数の茨がワルドの全身を縛り上げ、凄まじい力で締め上げ、動きを封じられ。 茨を伝って昇る波紋が、ワルド目掛けて疾り―― 老人と剣の叫びが、重なった。 「ハーミット・ガンダールヴ・オーヴァドライブッッッ!!!」 * ルイズは見た。 キュルケも、ギーシュも、タバサも、シルフィードも。 遥か地面へ向かって落ちたはずのジョセフにしか出せない紫の茨。 それは少年少女達の目には、茨ではなく、大樹のようにすら見えた。 時間にすれば僅かな間でしかなかった。 シルフィードが特攻じみた接近を仕掛けてから、たった十数秒のこと。 ワルドを捕らえた茨が、太陽の光にも似た光を放つ。 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!?」 死んだ肉体に満ちているのは水の精霊の力。 波紋は自由自在にワルドの身体を満たす精霊の力を疾走し、増幅させ……暴走させた。 瞬間的に膨張させられた精霊の力は、器であるワルドの肉体では耐え切れず、炸裂した。 「わ……私はッ! 不死身なのだッ! こんなッ……こんな、黴の生えた老いぼれなんぞにッ!」 ワルドの首が、空に吹き飛ばされる。 それでもなお、ワルドは叫ぶ。 「この私が! 死ぬだと!? 有り得ない、有り得ない有り得ない有り得ないッ……」 うわ言の様に叫ぶワルドの声は、ルイズ達に届いていた。 ルイズは、ただ。 一つ、深く呼吸をして。 「……貴方を殺すのではないわ、ワルドさま」 目の端から空に飛ばされる涙の粒を拭うこともなく。 「これは、貴方を救うことなのよ」 杖を、『ワルドだった』者へと向けた。 ――それに人間、終わりがあるから生きてけるんじゃ。終わりが無くなれば、狂うしかないんじゃよ。狂うしか、な。 かつてジョセフが自分に向けていった言葉。それが不意に頭の中で再生され、ルイズは深く頷いた。 「ジョセフ……アンタの思いが今、言葉でなく心で理解できたわ……私は、貴族として、人間として……」 たった一言、呪文を唱え。 ワルドの首は大きな爆発に巻き込まれ、アルビオンの空へ霧散した。 彼の意識が消し飛ぶ瞬間、黄金の輝きが確かに彼の視界を満たした。 しかしその輝きを見たことは誰にも伝えられることはない。 誰にも知られることは、なかった。 To Be Contined →
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「宝探し?」 三日振りに六人が揃った朝食の席で、唐突な話題を振ったのはジョセフだった。 ジョセフが持参した紙袋には、変色したり所々破れたりする地図がたっぷり詰まっていた。 「おう、トリスタニアで色んな店回ってたらすっげェ胡散臭い『宝の地図』なんか売ってたんでな。せっかくじゃから魔法屋に情報屋に雑貨商に古本屋に露天の出店まで虱潰しにかき集めてきた」 イシシ、と笑うジョセフに、ギーシュは呆れた顔でパンを千切った。 「全く、そんな紛い物の地図を買ってきたのかい? 出鱈目な古地図を『宝の地図』だなんて売り付ける商人なんて数え切れないよ。騙されて破産した貴族だって同じくらいいるんだぜ」 「そりゃそうじゃろ。わしだってお宝なんて見つかるたぁこれっぽっちも思ってない」 言いだしっぺなのにあっさりと宝探しの意義を否定するジジイにも慣れたもので、誰もツッコミを入れずに食事を続けていた。 「まー宝探しってのは実は二の次でな。この部屋から出られん王子様の気晴らしにちょっとした旅行なんか考えたんじゃが、ただ旅するのも芸がない。そこにこんな胡散臭ぇ宝の地図なんて見つけちまったからしょうがないじゃろ」 何がしょうがないのかちっとも判らないことも、全員当然のようにスルーした。 「でもダーリンの言う事ももっともだわね、私達が帰ってきてから王子様はずっとこの小さな部屋に閉じ篭ってるもの。たまには外の空気を思い切り吸うのもいいんじゃないかしら?」 ちらり、とシナを作った流し目でウェールズに微笑みかけるキュルケ。 当のウェールズは紅茶の満たされたカップを手に持ったまま、薄い苦笑を浮かべた。 「レコン・キスタと戦っていた頃に比べれば、この部屋はまるで天国のような心持ちだ。ミスタ・ジョースターが思っている以上に快適な環境で有難いと感じているよ」 紅茶で喉を潤してから、ウェールズはジョセフを見やる。 「だが、宝探しと言う単語には興味がそそられた。そんな言葉は物語の中でしか聞いた事がないからね、一度宝探しと言うものを体験してみたい」 主賓が賛成してしまえば、宝探しの実行は決定事項となった。 「よし、決まりじゃな。わしと殿下以外に参加したいのはおるかな?」 使い魔が行くってなら、主人も参加しなくちゃいけないわね」 部屋の中でも帽子を被ったままのルイズが、澄まし顔で参加を表明する。 「タバサも行くわよね、はい決定」 サラダを黙々と食べているタバサは、勝手に自分の参加を決めるキュルケの物言いに異論を挟むこともない。 「ギーシュ、お前はどうするんじゃ?」 「僕かい? んー……率直に言えば、十中八九骨折り損のくたびれ儲けになるとは思ってるんだがね。面白そうだから、お宝は期待しないで行くことにしよう」 ギーシュは苦笑しつつ、背凭れに体を預けた。 「よし、んじゃ決まりじゃな。じゃー後で学院長ンとこ行って、殿下連れてキャンプに行くからって外出の許可も貰っとこう。学院長に根回ししときゃサボリも余裕じゃよ」 前途ある若者にサボリを推奨するダメなジジイであった。 「ところで」 デザートのプティングをスプーンで切り崩し、ルイズがゆるりと手を上げた。 「この中でまともに料理が出来る人がいるのかしら? 地図の枚数からすると最低でも一週間くらいは宝探しすることになりそうだけど、まさかその間保存食ばかりというのは遠慮したいわ」 「わし一応料理できるぞ。ここに召喚されるちょっと前までキャンプや自炊しとったし」 胸を張って断言するジョセフに、ルイズはあくまで冷静に言葉を続けた。 「贅沢は言わないけど、私達を満足させられるくらいだったら文句はないわ。最低でも今食べてる料理くらい作れるんでしょうね?」 ぐ、と言葉を詰まらせた使い魔に、ルイズはふぅ、と漏らしたため息でカップの中で揺らめいていた湯気を散らした。 「さすがに厨房のコックを連れて行くわけにもいかないし。……そうね、この前、アンタに料理作ってくれたメイドいたわよね。ジョセフが頼めば来てくれるんじゃないかしら? まさか平民が王子様の顔知ってるはずもないし、問題ないわね」 この場にいるほとんどの人間が聞き流す何気ない言葉に、口端を愉快げに吊り上げたのはキュルケだけだった。 「シエスタか? じゃあわしが聞いてみよう。来てくれんかったら食事係はわしっつーコトでカンベンしてくれよ」 そこからおおよその計画が決まったところで、その日の朝食はお開きとなった。 次の夜明け前の出発までに各々旅の準備を終えておくということで、授業に出る少年少女に代わって言いだしっぺのジョセフが出発前の準備に動き回る。 ジョセフの話を聞いたオスマンが「わしが言える義理もないが、ジョースター君は大分フリーダムじゃなあ」と呆れた声で苦笑するのを「よく言われます」と笑い飛ばした。 続いてシエスタを旅に誘うと、嬉しそうに快諾した。ただ同行するメンバーにルイズがいると聞いた瞬間に「わ、私が行って大丈夫なんでしょうか?」と怯え出したのを宥めるのに少々時間を要してしまったが。 それから昼食の仕込みで大わらわのマルトーの所に行き、一週間ほどシエスタを連れて旅行に行く旨を伝えれば実に快く快諾したばかりか、弁当まで用意してくれると至れり尽くせりの振る舞いを受けた。 そして次の日の夜明け前、七人と二匹の使い魔を乗せたシルフィードは学院を後にしたのだった。 * 「いやー、はっはっは。今回も大ハズレじゃったなあ」 「いくら宝の地図がインチキばかりだと言っても、ここまでヒドい地図ばかりだとは思っていなかったよ。ここまで来るとジョジョがわざとヒドいのばかり選りすぐったんじゃないかと勘繰りたくなるね」 陽気に馬鹿笑いするジョセフに、ギーシュが冗談交じりのツッコミを入れた。 日はとっぷりと暮れており、シチューの鍋がくべられた焚き火を囲んだ一行は食欲をそそる匂いが漂う中で歓談を交わしていた。 ジョセフが意気揚々と用意した宝の地図は、結果から言えばハズレばかりだった。 学院を出発してから十日続いた冒険だが、地図に書かれた場所はどれもこれも化物や猛獣の住処になっており、それらの脅威を排除しても目ぼしい宝物など手に入らなかったのである。 今日も打ち捨てられた開拓村の寺院に住み着いた十数体のオーク鬼の群れを殲滅したのはいいが、手に入ったのはそこらの露店でも売っていないみすぼらしいアクセサリーが幾つか。 かけた手間と時間に見合った報酬とは誰一人思っていない。 とは言え、三人のトライアングルメイジを含むメイジ五人、強力な炎を吐くフレイムに地中を自在に移動するヴェルダンデ、戦術指揮担当のジョセフの一行はそれほどピンチらしいピンチを迎えることもなかったのだが。 最初の内こそはキュルケやギーシュがまだ見ぬ宝物に目を輝かせていたが、中盤からは「危険に対していかに対処するか」という点に楽しみがシフトしていた。 地図に書かれた場所を見つけ出し、事前調査を踏まえて情報を得、危険をどう排除するか。 真正面から立ち向かえば命が幾つあっても足りない化物をどう罠にかけ、いかに手を汚さず倒すか。全員で額を寄せ合ってアイディアを出し合い、組み立てた戦術に敵を嵌めるか。 今日の敵であったオーク鬼も、平民だけではなくメイジにも脅威となる怪物である。 身の丈は二メイルほど、体重は普通の人間五人以上。全身を分厚い脂肪に包み、脂肪の下に強靭な筋肉を持つ彼らは、豚のように突き出た鼻と、豚のような呻き声を立てる醜悪な顔も持ち合わせている。 太りに太った人間の頭を豚に挿げ替え、二本足で立つ姿はほぼ全ての人間に対して嫌悪と恐怖を与える代物であった。 標準的なオーク鬼一匹を相手にするには、人間の戦士なら最低五人は必要と言われている。 少々の武器では脂肪と筋肉の鎧に阻まれて致命傷を与えるのは難しく、人間の体重分は優にある棍棒を振り回す膂力も持ち、かつ人間を餌とする激しい凶暴性と、それに反比例する低い知能。 宝の地図が指し示す目的地である寺院にオーク鬼が巣食っていると判った時も、一行の顔にはさしたる変化はなかった。 寺院を囲む森を上空から調査した後、森を散策して草やコケを一抱えほど採取し、それらを材料として即席の煙幕弾を作成する。 寺院の入り口を取り囲むように七体のヌーベルワルキューレを配置し、寺院の入り口から見えやすい正面の地中をヴェルダンデに掘らせ、幅広く深い空洞を作り上げる。 地中から掘り出した土を錬金した油を空洞に注ぎ直し、準備は完了した。 寺院から見て落とし穴の対岸に配置した二体のワルキューレの中央にはジョセフが立つ。 他の隠れた場所に陣取ったワルキューレの横には、メイジ達が一人ずつ立っている。 木の陰に隠れたキュルケが門柱の隣に立つ木を火の魔法で吹き飛ばしたのを合図に、ルイズとジョセフは用意していた種火で煙幕弾に火をつけ、他のメイジ達は手短な魔法で火をつけた。 寺院の中から一斉に飛び出してきたオーク鬼達へ放たれた七個の煙幕弾が、灰色の煙を撒き散らしながら彼らの足元へ落ちる。 突然オーク鬼達を巻き込んだ煙は彼らの視界を奪うだけではない。煙幕弾の材料の中には、森に自生していた唐辛子も混ざっていた。例え強靭な肉体を持つオーク鬼と言えども、目や内臓などの粘膜に関しては他の生物と大差ない。 カブサイシンがたっぷり入った煙は、オーク鬼達に今まで受けたことのない類の痛みを与え、同時に彼らの低い知性では拭いきれない致命的な混乱をも与えた。 そうなれば後は七面鳥撃ちの時間である。 ヌーベルワルキューレは自分の身体からもいだ青銅の砲丸を装填しては発射し、生半可な武器では傷つくことのないオーク鬼達を滅多打ちにする。特にジョセフが扱うことでガンダールヴの能力で強化されたボーガンの放つ砲丸は、脂肪と筋肉の鎧を容易く撃ち抜いた。 当然ながら、メイジ達の魔法も次々にオーク鬼達に連射される。ワルキューレを錬金して精神力の枯渇したギーシュ以外のメイジは、三人のトライアングルメイジと爆破の威力には定評のあるルイズである。 風の刃が首を落とし、炎の弾丸が頭を吹き飛ばし、無数の氷柱が全身を貫き、脳味噌が直接吹き飛ぶ。 オーク鬼達が寺院からおびき出されてから数分も経たない内に、十数体いた彼らは入り口の前で様々な死因を晒すこととなった。 しかしそれでも、旺盛な生命力を持つオーク鬼である。大火傷を負い、砲丸を全身に受けながらも辛うじて生き残った一匹が、仲間達を殺すのみならず自分をこれほど痛め付けた人間に復讐すべくその手に棍棒を握り締めて走った。 怒りに燃えるオーク鬼は真正面に立っていた図体の大きい老人目掛けて走っていき――地面を踏み抜いて4メイル下の地面に叩き付けられた時に死んでしまわなかったのが、このオーク鬼生涯最後の不運だった。 そこに落とし穴から這い上がることも許されず、油塗れになった生き残りはフレイムの吐いた炎で全身を改めて焼かれ、今度こそ絶命した。 こうして襲撃をかけられたオーク鬼達が文字通り全滅したのに対し、襲撃側の人間達は死人の一人も出さなかったばかりか、手傷一つ負わなかったのである。 「骨を折るほど損はしなかったけど、くたびれ儲けはあったわね」 この十日間で手に入れた宝物とはとても言えないガラクタの詰まった皮袋をじゃりんと揺らし、キュルケが笑う。 「さて、目ぼしい地図も大体消化したことだし。今日はここでキャンプしてから、懐かしの学院に帰るとしましょうか」 「ああ、そうだね。私もいい気晴らしが出来た。君達の様な友人を持てた事を始祖に感謝しよう」 旅の終わりによく口にされる類の言葉を紡いで微笑むウェールズに、子供じみた笑顔のジョセフが真っ先に答えた。 「いやいやそう言って貰えると照れますのォ」 「主人として、多少は謙遜とかそういう類の言葉をいい加減覚えるべきだと思うのよね」 ルイズは七十前には到底思えない使い魔をからかった。 シエスタは積極的に会話に参加することはないものの、貴族達のやり取りを微笑ましげに眺めていた。 最初のうちこそは貴族と使用人という身分の差をひしひしと感じていたものの、ジョセフが間に入ることによってある程度の親睦を交わせていた。 旅が始まった時にはルイズがいつ癇癪を起こすかビクビクしていたシエスタも、初日の朝方にルイズ自身が譲歩する言葉を述べたので、ある程度は安心を持つことが出来た。 曰く、「人に嫌われる使い魔より人に好かれる使い魔の方が主人としてもいいに決まってるわ。でもまた私が怒らない保証はしてあげられないけど」。 仲良くするのは構わないがあまり近付き過ぎるな、と釘を刺した形となる。 シエスタとしても、ジョセフはあくまで『憧れの人』の範囲を出ていない。憧れと一概に言っても、顔を見たこともない王族や威張ってばかりの貴族達に何倍もの差をつけた上での堂々一位である。 しかしそれは、年頃の少女がアイドルやスターに関して抱くものとほぼ同じであり、恋愛対象としては完全に外れていた。 タルブという田舎の村出身の少女にとって、例えジョセフが貴族と渡り合えてかつ人当たりの良い人気者と言っても、自分の父親どころか小さい頃に亡くなった祖父よりも年上という存在といい仲になりたい、という考えには至らないし、至れない。 魔法を使えない平民にとって、老いると言う現象がどのような意味を持っているのか、小さい頃から隣人を見てきたから十分に理解している為である。 第一印象こそは大人しそうで純朴な雰囲気を持つ少女だが、意外と大胆で手段を選ばない内面を持っている。これでジョセフが若ければ、一緒に食事をした日に服を脱いで実力行使に出たかもしれないが、彼が老人だからそのような暴挙には出なかったのだった。 シエスタはルイズに対し、「今後気をつけます。申し訳ありませんでした」と頭を下げた。 貴族であるルイズが大幅に譲った形で寛大な処置をしたのに対し、平民であるシエスタは自分の非を認める形で謝罪をする。それでこの件は決着と相成った。 そしてシエスタの作る料理を「……確かに美味しいわね」と、微妙な顔をして認めたのはルイズなりの賞賛だということを、シエスタが理解したのは旅も半ばに入ってからだった。 「皆さん、食事の準備が出来ましたよ」 この十日の旅の間で、シエスタの料理の腕は同行者全員が認めるところとなった。 一行がオーク鬼達を罠にかける準備をしている間、シエスタは野兎を罠にかける準備をし、森の中で煙幕弾の材料を集める横でキノコや自生のハーブなど様々な食材を獲得していた。 それらを入れたシチューに、唐辛子に様々な香辛料を調合したソースを好みでかけて食べる今夜の食事は、舌の肥えた貴族達にも絶賛の出来であった。 「うん、君の作る料理は美味いね! 特にこのソースが絶品だ、ピリッとした辛味がまた食欲をそそる!」 ギーシュがシチューをがっつきながら、調子に乗ってソースをかけすぎてむせた。 「これだけ美味しい食事が、この森の中で取れた食材だけで作っているとは大したものだよ」 シチューに舌鼓を打つウェールズに、シエスタははにかんで答えた。 「田舎育ちなもので、小さい頃からこうやって食事の材料を取るのに慣れてるんです」 シエスタには、ウェールズはルイズの友人の友人という扱いになっている。 一般的な平民は、隣の国の王子様の顔どころか名前も知らないのが当たり前だった。 「私の故郷の村……タルブって言う村なんですけど、名物料理なんですよ。季節の野菜やキノコにハーブを組み合わせているので、季節によって味が変わるんです。ヨシェナヴェ、って言うんですよ」 「へえ、あなたタルブの出身なの?」 シエスタの言葉に出た単語を、キュルケが耳ざとく聞きつけた。 「タルブってワインが名物だって聞いてるわ。そうね……何本か買って帰るのもいいかもしれないわね。みんな、明日はタルブに寄ってから帰るのはどう?」 特に異論も出なかったので、明日の朝にタルブに向かうことが決定した。 タルブはラ・ロシェールの近くにある村で、シルフィードを飛ばせば学院からも一日足らずの距離になる。旅の最後の日は村でゆっくり泊まって、それから学院に帰る事も決まった。 そして食事を終えると、夜中の見張りのローテーションを決めてから中庭に張ったテントにそれぞれ入る。 四つ張られたテントの組み合わせはルイズとジョセフ、キュルケとタバサ、ウェールズとギーシュ、シエスタと使い魔達という組み合わせであった。 シエスタはこの旅の間、貴族達だけではなく使い魔達とも交流を深めている。使い魔の契約を交わしたことで、野に生きていた頃と比べて高い知性を獲得しているとは言え、美味しい食事を分けてくれる相手に懐くのは動物として当たり前の習性だった。 今夜のルイズとジョセフの見張りの順番は一番最後に決まったので、睡眠時間を確保する為に主従は毛布に横たわる。当然のようにジョセフの腕に頭を乗せたルイズは、ふぁ、と欠伸をした。 「もうそろそろ旅も終わりね……。帰ったら詔を仕上げなくちゃ」 旅に出た時も始祖の祈祷書とにらめっこをしていたものの、特に結果が芳しくならなかったので、三日目が過ぎた辺りで大胆に諦めることにしたルイズである。 「大変じゃなあ」 他人事丸出しで気のない相槌を打った使い魔に対する仕打ちは、脇腹チョップである。 「だってわし関係ないじゃあないか」 「うるさいわね、主人が大変な思いしてるのに相変わらず暢気な顔してるのがムカつくのよ」 「うわすげェ八つ当たり」 「うるさいわよ」 そんなやり取りを終えると、今度はさっきより大きい欠伸をした。 「……ま、どうせ学院にいててもこの様子じゃ詔なんて考えられなかっただろうし。気晴らしにはなったから、誉めてあげる」 「お褒めに預かり光栄の極み」 「そうね、自分の物見遊山に私達を巻き込んだのは不敬の極みだけれど、楽しかったから不問に処すわ」 何でもないことのように放たれたルイズの言葉に、ジョセフは幾つかの言葉を選んでから、ニシシ、と笑った。 「……バレてた?」 「バレるも何も。この旅で一番トクをしたのは誰かって考えたら明らかにアンタじゃない。私が考えるに、こっちの世界の見物をしたいと思ったら、一人で行くより私達メイジを連れて行った方が何かと便利だと考えるのは当然だわ。 でも遊びに行くから付いてきてくれ、だけじゃ一緒に来るかどうかはちょっと怪しいから、宝の地図をダシにしてウェールズ様を誘ったってワケね。で、その場に居合わせる私達を一人ずつ切り崩していけば全員が儲けも何もないって判りきった宝探しに付いて来た、と」 どう? と悪戯っぽく笑ったルイズの頭を、もう片方の手を伸ばして撫でた。 「そこまで理解してたら十分じゃ。わしも毎日授業してた甲斐があるってモンよ」 くすぐったげに目を細めたルイズは、けれども少し物憂げな顔でジョセフを見た。 「……ねえ。姫様の結婚って……止められないの?」 優しげな手付きでルイズの頭を撫でていた手が、髪にかかったまま止まる。 「ふむ。わしもどうにか出来ないかと色々考えちゃあみたんだが……」 言葉を濁したジョセフの言葉を、ルイズが続けた。 「どうにもならないのね?」 「……ぶっちゃけるとそーなる」 何も言わず責めるような瞳に、ジョセフは唇を尖らせた。 「そんな顔されてもどーしよーもないモンはどーしよーもない。もしお姫様を浚って逃げたところで何も問題は解決せんどころか、問題は悪化する。ゲルマニアとの同盟条件としての政略結婚だからな。 ここでもし同盟が破談になったとしたら、トリステインはレコン・キスタに滅ぼされる。その後はどうなるか、賢いルイズなら説明されんでも判るじゃろ?」 「……ならいっそ、ニューカッスルでやったみたいなスゴいコトをやってみせてよ」 「ありゃあどうやっても全員討ち死にってのが確定してたところに、無理矢理ハッタリ利かせて上手く騙したから出来たんじゃ。 今の状況を何とかしようとするなら、それこそわしが国の全権を任された上で時間があれば何とか出来んこともないだろうが、そいつぁ無理な相談だ」 桃色の髪を撫でていた手がそっと離れ、どちらのものとも判らない溜息が漏れた。 「色々考えちゃみた。いっそアルビオンに単身乗り込んで次から次へとレコン・キスタの貴族を暗殺してみりゃちったぁ足止まるかもとかな。だが対症療法でしかない。本当にこの状況ひっくり返すには奇跡の数が足りん。 今日のオーク鬼倒すのに、煙幕弾もヌーベルワルキューレも杖もナシで武器だけ持って真正面から前に出なくちゃならんくらいの状況だ」 普段から気楽なジョセフが、真剣な顔をしてそう言うのならそうなのだろう。 ルイズは悲しくなって、ジョセフの肋に手を回して顔を埋めた。 貴族とはいざという時に身を捨てる覚悟がいるのだと、両親から教えられてきた。貴族を束ねる王族は、それ以上の覚悟を持たなければならないということも。 けれど、判っていた事とは言え、やはり悲しいものは悲しい。 せっかくウェールズを救い出して来たと言うのに、愛し合う二人がこんな事で引き裂かれるのを見なければならないのは……判っていても、悲しいのだ。 この旅の間、一緒に過ごしてきたからよく判る。アンリエッタがウェールズを好きになってしまうのは自然なことだ。誇り高くて優しくて、なのに偉ぶったところがない。 国が滅んで、愛する人が手の届かないところに行こうとしているのに、その悲しみを見せず何事もないように振舞っている。 アルビオンから戻ってきた森の中で思わず漏らした言葉が、そう容易く変わるはずはない。今でも王子の心の中には、辛い痛みが存在しているのに、その痛みを優しげな微笑みで隠している。 そんな王子様の振る舞いを見ていれば、どうしてこんな優しい王子様が幸せになれないのか。そう考えるだけで、胸ごと心が締め付けられるように悲しくなった。 「……あー、ちょっといいかい」 地面に置かれたままのデルフリンガーが、ちらり、と鞘から刀身を覗かせる。 「なによ」 ルイズはジョセフに抱きついたまま、そちらに視線を向けようともしなかった。 「なんだろうな、せっかく宝探しの旅に出てるってのに俺っちだけホント蚊帳の外でよォー。どうしてガンダールヴが剣使わないで頭使って戦ってんだ? こう肉とか骨とかズバァーッって斬りたいのよ、曲がりなりにも伝説の剣としての存在意義があるわけじゃん?」 ここまでの宝探しの旅で、一度も血に塗れるどころか何も斬ってすらいないデルフである。今回の持ち主であるジョセフが近接戦闘よりも遠距離戦闘や策略を得意とする使い手の上、魔法を使う敵がいないのも伝説の剣の出番をより少なくしてしまっていた。 用心の為に抜かれることはあっても、剣が届く距離に敵がやってくる前に魔法やらハーミットパープルやらが決着をつけてしまう十日間であった。 「相手の手の届かないところから攻撃するのは戦術の基本の基本の基本じゃからしょーがないじゃろ」 「いやそりゃあそーだけどよォ……まあいいや、わざわざそんな話をする為に出てきたんじゃない。俺っちも伝説の剣なワケだし、相棒も最近はどうも俺っちないがしろにしがちだが、伝説の使い魔なワケだ。これってけっこう偶然にしちゃ出来すぎてね?」 「……何が言いたいのよ」 「あれよ。物事って動き出すまではドッシリ構えてビクともしねえが、一度動き出したらものすごい勢いで転がってくモンだってことよ。で、転がってる真っ最中って意外と転がってるコトに気付かないモンさ」 顔もないくせにしたり顔で喋るデルフリンガーに、ルイズは無言で手を伸ばすとデルフリンガーの鞘と柄を掴んだ。 「待て! まだちょっと待って! メイジが呼び出せる使い魔ってメイジに見合った使い魔が来るんだよな! だとしたら、伝説の使い魔を呼び出せた娘っ子は――」 「気休めは必要ないわ」 なおも言い繕うとした剣の言葉を氷を思わせる響きの言葉で掻き消して、ちゃきん、と鮮やかな鍔鳴りを立てて鞘に収めてしまった。 その後、テントの中に言葉はなかった。 ルイズはもう何も喋る気持ちになれなかったし、ジョセフも無言で抱きついて来るルイズに腕を貸すだけだった。そしてデルフリンガーも、それ以上は何も言わず鞘の中に納まっていたのだった。 * コルベールのフットワークは軽い。 魔法学院で教鞭をとる教師という人種は、主に伝統と格式を重んじる。そしてその伝統と格式はかつて名のあるメイジによって記された書物と、何より由緒ある血筋の貴族の側にあると信じて疑わない。 つまり実力あるメイジは自らの魔力の他に、図書館通いと派閥構成に長けた者が自然とそう呼ばれることになる。現在のトリステインでは、派閥構成の方が圧倒的な重きを占めてしまっていたが。 この範疇でくくれば、コルベールは実力のないメイジという扱いをされてしまう。 図書館通いこそは教師だけではなく、図書館に永住しているとさえ言われるタバサに匹敵するだけの実績はあるものの、派閥構成という重要なカテゴリーを彼は完全に放棄していた。 それどころか、訳の判らない研究に没頭して先祖伝来の領地や屋敷まで手放したコルベールを、どの派閥も表立って口にしないが良くて軽んじ、悪ければ蔑視していたことは紛いない事実であった。 だが当のコルベールは、そのような事に頓着する気配さえない。色々実験してみたいアイディアが山のように積み重なっている為、そんなどうでもいいことにかかずらっている暇はないからだ。 特に異世界から来たと言う異邦人がもたらしてくれた技術と希望は、彼の研究意欲をこれまでにないほど加速させてくれていた。 今まで誰も理解してくれなかった自分の研究を絶賛し、しかも行くべき方向が間違っていないことを教えてくれた友人に、せめて何か礼をしたいという気持ちが芽生えたのは、一般的な貴族の範疇から外れているコルベールにとっては当然のことだった。 少し自分の研究の手を休め、図書館で異世界に関係しそうな書物を調べていたコルベールは、程無くして奇妙な伝説を発見する。数十年前、東方から現れた巨大な鳥のような存在が二つ、ハルケギニアを飛んでいたと記された書物に行き当たったのだ。 それは風竜のような速度で空を飛び、上空を飛び去ってから数秒後に雷のような轟音を大地に響かせた。そのうちの一つはやがてラ・ロシェール付近の草原に降り立ったが、もう一つは日蝕が作り出した闇の輪の中へと飛び去り、姿を消したと言う事だった。 そして大地に降りた「それ」からは一人の男が現れ、タルブ村に住み着いた。二度と空を飛ぶことのなかった「それ」は『竜の羽衣』と呼ばれて現在でも村の名物として拝まれている、と言う下りで締められていた。 「もしかすればミスタ・ジョースターの言う異世界に関係するものかもしれない!」 普通のメイジなら眉唾か与太話として切って捨てるところだが、コルベールは本を本棚に戻した数分後にジョセフにこの話を伝えるべく走り出していた。 しかしジョセフは主人や友人達と共に、泊りがけの研究旅行に行ってしまって不在だった。 ここでコルベールが持ち合わせていた高い行動力は、黙ってジョセフが帰ってくるのを待つなどという悠長なことはさせない。すぐさま旅の準備を済ませると、馬に乗ってタルブの村へと出発した。 それがジョセフ達がオーク鬼達討伐作戦にかかる前日の話であった。 ――物事って動き出すまではドッシリ構えてビクともしねえが、一度動き出したらものすごい勢いで転がってくモンだってことよ―― To Be Contined → 戻る
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フーケが破壊の杖を置いて行ったであろう場所は、時を置かず発見できた。 煌々と月明かりが大地を照らすハルケギニアでは、よほどの暗がりでもない限り明かりを用意せずとも光度は問題が無い。 ひとまず用心には用心を重ねようと、シルフィードを離れた場所に着地させ、ハーミットパープルで周囲に怪しい反応がないかも確認する。 だが三人の警戒を無駄にするかのように、ハーミットパープルのレーダーには何も反応を示すことは無かった。 「……ここまでされると本当に何もなかった時がバカみたいじゃの」 「確かにこんなに早く追跡されるだなんて考える方がおかしいんだけど。無用心だわね」 「逆に言えば、裏をかいたという事。今が奪還のチャンス」 そうと決まれば、まだシルフィードの背中ですやすやと寝息を立てているルイズも起こさなければならない。 ジョセフは波紋を練ると、太陽の光のように柔らかく光る両手をルイズの背に当てた。 人間は睡眠に落ちる際に自らの体温を低下させ、目覚めるに従って体温を上昇させる。寝起きが悪いのは体温の調整がうまく出来ないのも一因である。 それに体温が上昇すれば自然と寝苦しくなって―― 「ううっ……あ、暑い……」 ルイズの寝起きの悪さをよく知っているキュルケが驚くほどの早さで、ルイズは覚醒した。 「波紋って色んな使い方があるのねー。私も真剣に覚えてみようかしら」 普段の口調とは違い、かなり真剣に波紋の習得を検討するキュルケにルイズが噛み付くのを適当に宥めつつ、手短に事情を説明してから破壊の杖のある場所へ歩いていく。 そこは森の中でもやや開けた草むらで、その中央には随分と年季の入ったボロボロな小屋が一軒建っていた。 「地図から見るとあっこに破壊の杖があるようじゃな」 ハーミットパープルを使うまでも無く、周囲に人気が無いことは丸分かりである。 とは言え、それでもいざという時に備えて、外に見張りを立てた上で中に入ろうという計画が立てられる。 四人で相談した結果、キュルケとタバサが外で待機し、ジョセフとルイズが小屋に入るということで一応の決着を見た。 ルイズの前に立ち、身を屈めながらも心持ち早足に小屋へ接近すると、扉を押し開けて中へ入る二人。 ジョセフが波紋を全身に回せば、ほのかな光が小屋の中を照らす。 誰もいないと判っているはずなのに、ルイズは懸命に伸ばした腕の先で必死に杖を構えている。 杖の先が緊張を恐怖を如実に表わして震えているのが、ジョセフの苦笑を誘う。 「こらこら。見ての通り誰もおらんじゃろ? 気楽にしとけ気楽に」 「わわわわかんないじゃない、だだだ誰かいたらどうすんのよ!」 年頃の少女にとってはこのような状況が怖くないはずもないし、現にルイズはありもしない敵の幻影に警戒しすぎていた。 その気持ちはわからなくもないので、ジョセフはとりあえずルイズの手を握る。 「な……何するのよっ。勝手にご主人様の手握ってんじゃないわよっ」 目元を赤らめながら顔を背けるルイズだが、それでも無理に手を離そうとはしない。 「まあまあ。この哀れな使い魔めにご主人様の手を握る栄誉をお与えくだされ」 何かを言おうとしたルイズだが、結局しばらく口をパクパクさせた後で頷くだけだった。 とりあえず片手は繋いだまま、ハーミットパープルを発動させる。 手に持った宝物庫の欠片を媒介とした紫の茨は、すぐさまある一点に奔り、一抱えもある高価そうなケースに絡みつく。 「これが破壊の杖か?」 ひとまずケースを開けて確認すれば、その中身にジョセフは思わず驚きを露にした。 「……コイツが破壊の杖じゃと? どういうこっちゃ」 M72ロケットランチャー。映画や雑誌などで目にしたことはあるが、さすがのジョセフも実物を触るのは初めてのことである。 「それが何か知ってるの?」 「ああ。こいつぁ……わしの世界の兵器じゃぞ。なんでこんなモンが……」 手にとって使えるかどうか確認しようとロケットランチャーに触れたジョセフの左手が、今度こそ存在を強く主張するかのように手袋の中で眩く光る。 それと同時に、正確には知らないロケットランチャーの使い方が頭の中に『浮かんで』きた。 その感覚はデルフリンガーを掴んだ時にもあった感覚だが、その時に左手から漏れる光を感じたのはフーケとの交戦時もあわせて、今夜が二回目である。 やっと手袋を脱いで確認すれば、義手に刻まれたルーンが眩いほどの光を放っていた。 「……こいつぁ一体、なんなんじゃ……」 その答えはまだ誰からも提示されていない。ルーンを刻んだ張本人ともいえるルイズも、訝しげな顔をして光っているルーンを見ているだけだ。 「のうルイズや。一体わしに何が起こっとるんか判るかの」 「……えーと、ごめん。私にも何が何だか」 魔法が使えないだけで、様々な知識は豊富なルイズにも判らないとなれば、もはやお手上げとしか言う他はない。 得体の知れない力、という点で言えば生まれ持った波紋や、突然ある日発現したスタンドもあるので、さして不安材料にもならないのだが。 「とりあえずルイズや。こいつぁこっちの世界の人間にゃ使い方が判らんモンじゃからの。ひとまずこいつはわしが持っておく」 断りを入れて、背中にロケットランチャーを背負ってから、改めて狭い小屋の中を見渡す。ここをアジトと呼ぶには、あまりにも生活感の無さが目立ってしょうがない。 「うむ、となるともうここに用はありゃせん。出るぞ、ルイズ」 ルイズと共に小屋を出て、外で所在無さげに待機している二人と合流し、これからの行動を相談することにした。 「えーとじゃな、フーケは今この辺りにおるな。どうやら来た道をトンボ返りしとる」 「まさかまた学院に盗みに行く気かしら? それはそれで気合入ってるわね」 「破壊の杖が目的ではなく、学院を愚弄するのが目的とも考えられる」 「どっちにしたって、私達がバカにされたのは事実だわ! とっ捕まえてギャフンと言わせなきゃ気が済まないわ!」 約一名、バカにされたと憤っている少女が『フーケをとっ捕まえてギャフンと言わせる』のを強硬に主張する。 「んーまあそうじゃな。破壊の杖は取り戻しましたがフーケは逃しました、じゃ画竜点睛を欠くのもいいところじゃしな」 「そうそう。取られたものを取り返しただけじゃ、何の解決にもなってないわ。悪いネズミちゃんは捕まえて懲らしめてあげないとならないものね?」 「今から追跡を再開すれば夜明けまでに追いつく」 「そうとなれば善は急げだわ! さあみんな、フーケを捕まえに行くわよ!」 約一名、ここまであまり役に立っていない少女が意気揚々とシルフィードが待っている場所へと歩き出すが、約二名は苦笑混じりに、残り一名は感情を伺わせない顔をしながら彼女の後ろをついていく。 再びシルフィードが風を捕らえて空に飛んだ時には、ルイズも眠気を訴えるようなことはせずにバスケット一杯のイチゴを食べて目を見開いていた。 「覚えてなさいよフーケ……追いついたらギッタギタのメッタメタにしてやるわ!」 どこぞのガキ大将のような事を言うもんじゃのう、と苦笑するジョセフ。 それから程無くして、地図の上の金貨は小石に追いつこうとしていた。 「よしよし。もうそろそろフーケめに追いつくのう。さてここでわしは挟み撃ちの形を提案したい。四人全員でシルフィードに乗って追いかけても効率が悪いからの」 そこからジョセフは、シルフィードに乗ったまま追跡するグループと、フライで追跡するグループに分かれての攻撃を提案する。 スピードに勝るシルフィード組がフーケの進路に先回りしてフーケの移動を阻害しつつ、自由度に勝るフライ組がフーケを追い詰めるという作戦である。 その作戦自体には誰も異論を挟まない。だがその組分けに強固に反対する少女が一人いた。我らがゼロのルイズである。 シルフィード組とフライ組に分かれるということは、シルフィードを操るタバサは自動的にシルフィード組に回ることになる。 必然的にフライを使える残り一名であるキュルケはフライ組に回る。となると、ジョセフとルイズは別の組に回ることになる。 「ダメよダメよ! ツェルプストーの色情魔とジョセフを一緒にするのは反対!」 「じゃがのう。わしがシルフィードに乗っててもわしは何も出来んぞ。わしがキュルケに連れてってもらって、遊撃した方が戦力的にはちょうどいいんじゃぞ。 わしらじゃシルフィードを満足に操れるかどうか怪しいしな」 それからもしばらく駄々をこねていたルイズだったが、月明かりの下に馬を走らせている、宝物庫襲撃の時と同じローブ姿のフーケが見えるに至り、渋々ジョセフの案を承認した。 「ああん、こんなにダーリンと密着できるだなんてぇ。ダーリンのたくましい身体がス・テ・キ☆」 「アンタ、今からフーケをブッちめるってことを忘れてるんじゃないでしょうね!」 この期に及んでルイズをからかうことは忘れないキュルケと、挑発にいちいち乗るルイズ。 「ほらほら二人とも、そろそろ時間じゃぞ。気ぃ引き締めていかにゃならんぞ」 シルフィードの影でフーケに気取られることのないように距離に気をつけつつ。やがて街道が林の中を通ろうとする段階で、キュルケはジョセフを背負ったままフライの魔法で大空に飛び出し、地表近くの高度を維持してフーケ追跡行に入る。 それを見届けたシルフィードが、一気に加速し、林の木々にぶつからない高度を飛ぶことでフーケの頭上に影を落とす。 フーケは当然時ならぬ影に視線を上げ、頭上にいる風竜が前に回り込もうとしていることに気付き、速度を落としつつ街道を離れようとする。 しかし道の左右は林、夜の道を馬で走ることは非常に難しい。 馬を捨てて林の中を逃げるべきか、それともUターンして来た道を戻るか逡巡したところで、背後から猛スピードで追跡する一つの飛行物体が一気に距離を詰めてくる―― 「追いついたぞフーケッ!!」 キュルケに背負われたジョセフが、左手にデルフリンガー、右手にハーミットパープル、全身に波紋の光を構えて突進してくる! フーケはいちかばちか馬のまま林の中へ入ろうとしつつ、突っ込んでくる二人目掛けて魔法を唱えようとした、が…… 「行ってらっしゃいダーリンッ!!」 キュルケはフライで出せる最大限のスピードを維持したまま、ジョセフはキュルケの背を蹴って跳躍する! 加速したスピードのまま空を飛ぶジョセフは、ハーミットパープルを木の枝に巻きつけて速度を殺しつつも、なおもハーミットパープルをロープ代わりに林の木々を飛んでフーケへ急速接近していく! 「なッ!?」 予想外の行動に、ジョセフに一瞬気を取られてしまったフーケ。 「どこ見てんのよッ!!」 その一瞬の隙が、まだフライを解除していないキュルケの接近を許す結果となる! 全身に風を纏ったまま、ありったけのスピードで空を駆けるキュルケのタックルは、質量と速度が重なることで高い攻撃力を持つに至る。 「ぐはッ!?」 メイジと言えども、不意打ちを食らえばただの人間である。 キュルケのタックルをモロに食らったフーケは馬から落ち、地面に叩き落される。 だがフーケは地面に叩きつけられてなお、降参するどころかなおも抗う意思を示そうと、懐から素早く杖を取り出して呪文を詠唱していく! 「我が下僕達よ!!」 素早い詠唱で完成させた呪文は『錬金』。 ひとまずフーケは自分を囲むように三体のゴーレムを作り上げたが、素早く完成させるだけが取り得の『錬金』で完成したゴーレムは、30メイルのような大掛かりなものではなく、2メイルにも満たない土人形でしかない。 それでも腕力は普通の人間を大きく上回るだろうが、如何せんキュルケとジョセフの前では時間稼ぎ以外の何者でもなかった。 「ハーミットウェブッ!」 「ファイアーボールッ!」 頭上から奔る紫の茨と、正面から放たれる火の塊を防ぐだけで、一体はたっぷり波紋を流され爆散し、もう一体は火球を受け止め燃え尽きていく。 主人を守る為だけにその身を差し出したゴーレムだが、二人はなおも攻撃の手を休めようとせず追い討ちをかけてくる。 「くッ……調子に乗ってんじゃないよッ!」 しかしフーケも、キュルケのタックルを受けて落馬しながらも二人を相手取って戦闘を行おうとする時点で、今まで重ねてきた経験をここぞとばかりに発揮していた。 次に完成させた呪文は錬金ではなく、直前までゴーレムだった土塊を周囲に拡散させる『砂嵐』。 それで僅かにも二人の動きと視界を奪いつつ、意外と俊敏な動きで茂みに飛び込んだ! そしてシルフィード組のタバサとルイズが、シルフィードから降りてその現場に遅ればせながらやってくる次第だ、が。ルイズの不機嫌メーターは非常に危険な水域を示していた。 (何よ何よッ! デレデレしちゃって! 私だってフライさえ使えたら……!) 今頃、あそこで勇ましくフーケと戦っているのは自分のはずだったのだ。 それがあのにっくきキュルケというのがどうにも気に食わない。 今夜はタバサにメイドにジョセフがデレデレしてたのも気に食わないのに(ルイズ視点ではジョセフはタバサとシエスタにデレデレしているようにしか見えなかった)、それだけでは足りないと、よりにもよってあのキュルケとまで! 「このッ……アンタが来なかったらぁ!!」 今にも爆発しそうな(理不尽な)怒りをこらえつつ、茂みに飛び込んだフーケ目掛けて魔法を連発する! だがそれは残念ながら、フーケに利する行為となってしまった。 「ぬぅッ!?」 「きゃっ!? 危ないじゃないルイズッ!」 ルイズの失敗魔法が炸裂したのは、一瞬前までフーケがいた地点でしかなく、そしてそれはジョセフとキュルケからフーケの姿を見失わせ、二人の追撃の足まで止めてしまった。 その絶好のチャンスを指を咥えて見逃すはずも無いフーケは、林の中に微かに差し込む月明かりを頼りに決死の逃走を図る! ここでフーケと追跡者達の現状の差が如実に出た。 数と優位さで勝るジョセフ達に対し、一人しかおらず手負いとなったフーケ。彼女がとる行動は当然、命懸けでその場を離脱して状況を立て直すしかない。 仲間達が行動を共にするジョセフ達に対し、フーケが頼れるのは自分自身しかいない。余裕をもたらした弛緩と、決死の覚悟の差は、フーケの逃走を見事に成功させていた。 「いかんッ……ヤツを見失ったか!」 ハーミットパープルを伸ばし、なおも追跡を続行するジョセフ。 「何してんのよルイズッ! ああもうッ、なんてこと……!」 ルイズをからかう余裕さえ見せず、フーケの逃げた場所に照明弾代わりに火の塊を飛ばし、フーケの逃げた方向を注視するキュルケ。あと一歩のところまでフーケを追い詰めたというのに、それを逃した二人の失望はありありと横顔に出ていた。 ジョセフはともかく、キュルケが自分をからかいさえしないという事実は、ルイズの心を叱責するのには効果抜群だった。 (なっ……何よ! そんな反応するなんてっ……!) ルイズにとって予想外の反応を示されたばかりか、叱る時間も勿体無いとばかりにフーケに注意を傾ける仲間達。 ジョセフはハーミットパープルを伸ばし、直にフーケを追跡する。キュルケは照明代わりに火を飛ばし、隠れる闇を消していく。タバサは風を集めることで音を自分に集め、林の中を逃げるフーケがどこに向かおうとしているのかを感知しようとする。 だがルイズには何も出来ない。 魔法を使おうにも爆発するだけの魔法では、タバサの邪魔まですることになる。 フーケを追う意思だけは他の仲間よりも強いルイズは、意志の強さに反するように、何も追跡に役立つ手段を持ち合わせていなかった。 ――そして、フーケは反撃の体勢を整えた。 林の木々を飲み込みながら、巨大なゴーレムが立ち上がる。 それはジョセフ達を翻弄し、嘲笑ったものと同じ。 30メイルの巨人が、再びジョセフ達の前に立ちふさがる――! To Be Contined →
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だがアンリエッタはジョセフの内なる感情とルイズの戸惑いにも気付かず、静々とした足取りでジョセフの前へ歩み寄る。 「貴方は……ルイズの使用人かしら?」 幾ら図体が大きく鍛えられた肉体を持つ男とは言っても、老人を恋人と勘違いするほど王女殿下の頭は間抜けでもない。ジョセフを使用人の平民だと判別したアンリエッタは、ルイズとの話が終わるまでは声を掛けなかったのである。 ジョセフはその扱い自体に憤る訳ではない。そういう身分制度だと理解しているからだ。 「いえ、わたしの使い魔です。姫様」 「使い魔?」 ルイズの言葉にアンリエッタは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしながら、まじまじとジョセフを見た。 「人……にしか見えないのですけれど」 「人です。親愛なる王女殿下」 ジョセフは改めて、膝をついて恭しく一礼をしてみせる。 堂に入ったその仕草に、アンリエッタはまあ、と感嘆の声を上げた。 「ルイズ・フランソワーズ、あなたは昔から変わっていたけれどまさか人の使い魔を持つだなんて思いもよらなかったわ。さすがね」 「何と言うか……たまたまというか……」 どうにも煮え切れない態度で言葉を選ぶルイズ。 だがアンリエッタはそんなルイズの様子に頓着することなく、殊更明るい声で言った。 「頼もしい使い魔さん」 「なんでしょうか、王女殿下」 アンリエッタのたおやかな微笑みに、ジョセフは静かに言葉を返した。 「わたくしの大切なお友達を、これからも宜しくお願いしますね」 す、と、左手を差し出すのに、ルイズは驚いたような声を上げた。 「いけません殿下! そんな、使い魔に手を許すだなんて!」 「いいのですルイズ。忠誠には報いるところがなければいけません」 王族が平民に手を許す、ということは破格の褒美と称してもいい。何の躊躇いもなく平民に左手を差し出す王女は『貴族平民の区別なく分け隔てなく接する慈悲深い王女』と呼ばれるに相応しい。 (この世界で王族として育てられて、この優しさを持っておるッつーことは生まれ付いての優しい人間ということじゃな。――王族に生まれなければ幸せになれたじゃろう) 優しさだけで王族としてやっていけるかと言われれば、答えはNOだ。少なくとも、この世界では。 ジョセフは差し出された左手を見ながらも、音もなく立ち上がり、アンリエッタを見下ろした。 「……ジョジョ? 姫様が『キスを許す』ということよ、それ」 そのままキスをするだろうと思っていたルイズは、思わず声を掛ける。先程見せた怒りが、なおも消えていないばかりか、それがアンリエッタに向けられているように思え、声色はかすかに不安を帯びていた。 だがルイズの予感は、的中していたのだった。 左手を差し出したままのアンリエッタは、自分より頭二つほども高いジョセフの背に、思わず目を丸くした。 二人の美少女の視線を受けたまま、ジョセフはゆっくりと口を開き、言葉を紡ぎ始めた。 「――わしはこの年になって16歳の小娘の使い魔なんかやっておる。主人はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールという名前じゃ。 顔は可愛いが高飛車で癇癪持ちでワガママでそりゃーいけすかん小娘じゃ」 脈絡もなく始まった言葉に、アンリエッタもルイズも虚を突かれていた。 「メイジが貴族だと呼ばれるこの世界で、このルイズは魔法を使えば爆発するし周囲からもゼロと呼ばれてバカにされてもおる。 じゃが、これほど貴族の誇りを美しく持った者をこの学院では他に見たことがない。他の誰が認めずとも、このルイズは紛う事無き貴族じゃ。王に戦えと言われればその身を戦場に投じることも厭わんし、国の為に死ねと言われれば死んでみせる覚悟もある! わしはルイズの使い魔として、危険な戦場の只中であろうとも主人の仰せ付かった任務を成功させる助けをしてみせるし、必ずやわしらはどんな場所からでも生還してみせる!」 淡々と紡がれる言葉は、言葉が続くに従って緩やかに、着実に熱を帯びていく。 最初はバカにされているように感じたルイズも、ベタ褒めと言ってもいい言葉がジョセフの口から流れ出るのに悪い気はしなかった。 何を言い出しているのか判らなかったアンリエッタも、(ああ、自分達は王女の頼みを受け入れ、いかなる危険であろうともそれを乗り越えてみせると言う決意表明なのだわ)と判断してからは、慈愛と信頼を含んだ笑みでジョセフを見上げていた。 「だがッ!」 しかし、一喝にも似たジョセフの言葉が、弛緩した部屋の空気を一変させた。 アンリエッタは、自分を見下ろしているジョセフの燃える様な視線の意味が理解できなかった。それは久しくアンリエッタが受けた覚えのない類のものだったからだ。 だが、ルイズは。王女殿下を見下ろすジョセフの視線の意味を即座に理解した。 あれは――怒り、だ。 「なっ……待ちなさっ……!」 「アンリエッタ王女ッ! ルイズの輝ける誇りに比して! アンタの無様さにわしは怒りを覚えたッ!!」 ジョセフの恫喝に、部屋の空気が痛々しいほど凍りついた。 自分の予想を遥かに超えた厳しい言葉がジョセフの口から奔ったのに、ルイズの制止の声自体が制止し、アンリエッタは慈愛に満ちた微笑み自体を凍りつかせてしまった。 「何が真の友情か、何が忠誠か! アンタのその腐れた根性で尊い言葉を弄ぶなッ!!」 駄目押しとも言わんばかりの激しい言葉。 「あッ……アンタって奴はぁぁぁぁぁぁッッッ!!」 全く予想も出来なかった事態から我に返ったルイズが、ジョセフのこれ以上の狼藉を止めようと素早く駆け寄り、風を切って乗馬鞭を振るい――その先端が、腕を差し出した使い魔の身体に初めて傷を付けた。 波紋戦士でスタンド使いのジョセフと言えども、鞭で叩かれて痛くないはずがない。現に鞭を受けたシャツは布地を引き裂かれ、皮膚にはうっすらと赤い傷が浮かんでいる。 常人ならば悲鳴を飲み込みことも出来ない痛みが走るが、しかしジョセフは僅かに眉根を寄せただけで、苦悶さえ浮かべない揺ぎ無い目でルイズを見やった。 使い魔のジョセフでも友人のジョジョでもない、貴族ジョセフ・ジョースターとしての目。 年輪を重ねた老人の思慮深さと、誇り高い血統の末裔を示すように輝ける力強い意思――貴族の威厳と称すべき視線にルイズは知らず気圧され、再び鞭を振るうことを躊躇わせた。 それからもう一度、その視線がアンリエッタへと向けられた。 アンリエッタは彼が向ける視線を、いつかどこかで受けていたはずだったが、それを受けたのはいつだったのか、どこだったのか、すぐには思い出せず。 無礼と断ずることも、反論することも出来ず、ただ、ジョセフを見上げて息を飲んだ。 「今にも味方が敗北しそうな戦場の只中に行くのはいい、そこに国の命運がかかった代物があるというのならこのルイズは王に仕える貴族の誇りをもって死を厭わず向かうだろうッ! 今アンタが見たように、躊躇うことなく命を賭した任務を買って出たッ! だがアンタは! 真のお友達と称したルイズを危険な戦場に赴かせる危険を知っていてなお! 自らの命で友を死地に向かわせることを恐れたッ!!」 峻烈な言葉が、矢継ぎ早に投げかけられていく。だが、アンリエッタは怒ることもなく、泣き出すこともなく、ただ、腹の底から湧き上がりそうになる感情の奔流を押し潰すように、強く歯を噛み締め、杖を両手で固く握り締めていた。 「アンタは友人の頼みという体面で、哀れな悲劇のヒロインを演じてルイズの同情を買ったッ! 王女として命令するのではなくッ! ただの無力なアンリエッタが昔の友人の同情を誘って、友人の口から自らが向かうと言わせたッ! その形なら、例えルイズが命を落としたとしても『自分が命じて殺した訳じゃない、私の友人が自ら死地に赴いただけのこと、私が悪いわけじゃない』と自分に言い訳が出来るッ! アンタは輝ける誇りある貴族に、王女として振舞わなかった! 下らない三文芝居までしてみせて、その代償に友人を死地へと追いやろうとしたッ! 王族の誇りを捨て、自らに仕える貴族にへつらった! そんな腐れた魂の何が王女か、何がルイズの友達かッ!」 ルイズもアンリエッタも、自覚していなかったやり取りの意味。何気ない会話のベールを被って知れず潜んでいた内面は、ジョセフの手によって光の元に晒され続ける。 そんな意図が本人達になかったとしても。言われてみればそうとしか言えない歪んだ意図が、躊躇いなく正体を暴かれ続けるのを見つめているしか出来なかった。 「アンタはルイズに命を賭けさせるのに、アンタは王家の責務を果たそうとしていないッ!! アンタは確かに生まれは高貴なトリステイン王家の生まれじゃろうよッ! じゃがその魂は、わしの主人が仕えるべき存在には全く相応しくないッッッ!!!」 今ここで、ジョセフの言葉を上回る意味を持つ言葉を、アンリエッタもルイズも、何一つ用意することが出来なかった。 妬みややっかみの欠片さえ見つからない、純粋な怒り。だがそれは、アンリエッタが生まれてこの方投げられたことのない類の怒り。 甘えた少女を叱咤する、自らの意思で立って歩めと叫ぶ激励の怒りであった。 「アンタが本当にトリステインの王女でありッ! ルイズの友人だというのならッ!! ただのアンリエッタではなく、トリステイン王国の王女アンリエッタとして命令を下すべきじゃッ! 『トリステインの為、死地に赴いて王女の任務を完遂せよ』と! ただの友人の願いではなく、王女直々の命でアルビオンに向かわせると! “アンリエッタ王女殿下”が本当にルイズ・フランソワーズを友人だと思うのなら! 王女殿下は王女殿下の誇りを持って、誇りあるトリステイン貴族に命を下して頂きたい! 殿下はどうなされるのか! 見せて頂きたいッッ!!」 皮肉や嫌味のない真実のみで象られた言葉の重さと、強さを。 アンリエッタにもルイズにも、理解できた。 痛いほど鼓動する心臓を抑えようと、胸に手を押し当て。知らず乾いていた喉に唾を飲み込ませて喉を湿らせると、重量さえ感じさせるジョセフの視線に、自分の視線を合わせた。 「――わかりました」 ただの一言ではあるが、ジョセフはただそれだけの言葉に、先程まで失われていた王族の威厳を感じ取った。 す、とジョセフからルイズに身体を向けたアンリエッタの所作に、ルイズは呼吸するかのような自然さで、膝をついた。アンリエッタがフードを脱いで正体を明かした時のような反射的な所作ではなく、王女に恭順の意を自ら示す為に、膝をついた。 「ルイズ・フランソワーズ。私は忠実たる貴族たる貴方に泥を塗りたくるような侮辱をしてしまいました。栄えある王族として、恥ずべき振る舞いを弄してしまった事を心より悔います。同じ過ちを二度とはしないように、始祖ブリミルにこの場で誓約します」 始祖ブリミルだけではなく、ルイズと、そしてジョセフにも聞こえる高らかな声で誓約し。 次にルイズに立ち向かったのは、お友達のアンリエッタではなく。 トリステイン王国王女、アンリエッタ殿下その人であった。 「トリステイン王国王女、アンリエッタが、ヴァリエール公爵家が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに命じます。 貴女方は今これより、わたくしの命に従いアルビオンに赴き、ウェールズ皇太子より一通の手紙を受け取りに行って貰います。これはトリステインのみならず、始祖ブリミルの末裔たる三王家の威信がかかった重要な任務です」 王家の血族が、自らに仕える貴族に命令する言葉としてはもはや申し分のない言葉である。続いてもう一つの言葉を発するべきかどうか僅かな逡巡が端正な顔に滲んだ。だが、それでも意を決し、締めるべき言葉を発した。 「――その命に代えても、任務を果たすように」 「……はっ。この命に代えましても、必ずやこの任務やり遂げましょう」 王家の為に死ね、と。 心を許した友人にそう宣告する辛さは、アンリエッタの心を嫌と言うほど斬り付けた。 けれど。先程までただの悲劇のヒロインを気取っていた自分が、あまりにも愚かしく無様に見えた。王女としての責任から目を背けようとしていた自分を、嫌悪した。 友人の厚意に甘えて自分の責任から逃避しようとしていただなんて。先程の自分が目の前にいれば平手で打ち据えたい衝動に駆られていた。 静かに吐息を漏らすと、もう一度ジョセフに向き直り、彼を見上げた。 「……使い魔さん。もし良ければ、貴方の名前を聞かせてもらえませんか」 名を聞く言葉に、ジョセフは右手を自分の胸にかざしながら膝をつき、頭を垂れた。 「わしですか。わしの名は、ジョセフ。ジョセフ・ジョースターと申します。先程までの非礼の数々、この老いぼれの首を差し出してもなお償えないとは存じております――が。それでもなお、我が主の命を賭した任務に、王女の言葉がないのでは。主が、報われなかったのです」 すまなさそうに俯くジョセフに、王女はあの慈悲を湛えた微笑みを返した。 「いいえ、ジョセフさん。貴方の言葉は、この愚かなアンリエッタの心を強く震わせました。貴方の言葉がなければ、私は王女としての矜持を忘れ去ってしまうところでした」 アンリエッタとしての笑みの後、表情を引き締めて王女の貌でジョセフを見やる。 「もし、貴方が私への非礼を償いたいと思うのなら。わたくしの大切なお友達のルイズと、ルイズの大切な使い魔である貴方が、どうか無事に帰ってきてほしいのです。友達面で擦り寄ってくるだけの宮廷貴族達とは違う……私に真に忠誠を誓うあなた方が、私には必要です」 「王女殿下の命令とあれば、例え地獄の底からでも」 「いいえ、これは命令ではありません」 栗色の髪が、音もなく左右に揺れ。ブルーの瞳が、ジョセフとルイズを見つめた。 「――友人としての、願いです」 膝をついたままの二人は、一様に満足げな笑みを浮かべてアンリエッタを見上げる。 「このわしごときには、身に余る光栄ですじゃ。もし、王女殿下がわしを友人だと認めてくださるのなら……わしの友人達は、わしのことをジョジョ、と呼ぶのですじゃ」 「ええ、ジョジョ。わたくしのルイズを、宜しく頼みます」 そして、改めて左手を差し出す。ジョセフは音もなく跪くと、差し出された手を優雅な動作で取った。 「王女殿下の願いとあれば。わしは、殿下のいやしきしもべに過ぎませぬからな」 そう囁いて、手の甲に恭しく唇を触れさせた。 「――ああ、その様な物言いをする貴族も減ってしまいました。祖父が生きていた頃は……フィリップ三世の治世には、貴族は押しなべて恭順を示していたというのに!」 瑞々しい美しさを湛える王女の面持ちには似つかわしくない、嘆きの表情が浮かぶ。 ジョセフは左手を離すと、視線を静かに王女に合わせ、言った。 「もし、殿下が貴族達に恭順を示される存在となりたいのならば、主人もわしもこの身を惜しまず殿下の手足となりましょう。今、殿下の中に脈打った輝かしい誇りを、どうか忘れずにお持ちくだされ」 アンリエッタはその言葉に、ルイズに駆け寄ると彼女の手を取って固く握り締めた。 「ああ、ルイズ! わたくしのルイズ! 聞きましたか今の言葉! わたくし、今夜と言う時がこんな素晴らしいものになるだなんて思いもよらなかったわ! 今夜、ルイズ・フランソワーズとジョセフ・ジョースターというかけがえのないお友達を得ることが出来たのだわ! ねえルイズ、この奇跡を始祖ブリミルに感謝するしかないのかしら!」 「ああ、姫殿下! その様な勿体無いお言葉! わたくしも姫殿下にお友達と呼んで頂けたこの夜のことは、決して忘れることのない栄えある日として一生心に刻み付けますわ!」 ひしと抱き合って紅涙にむせぶ二人を見て、芝居がかっていたのはどうやら計算ずくではなくて、トリステインではそういうのが当たり前だったんかのう。と、ちょっとジョセフは後悔した。 とりあえず、一件落着かなと思っていたところに。ばたーんとドアが開いて……というか、聞き耳を立てようとして身を乗り出したら体重がかかりすぎてそのままドアを押し開けて部屋に入ってしまいましたよ、という風情のギーシュが転がり込んできた。 「何じゃギーシュ。盗み聞きは趣味が悪いぞ」 この場で唯一冷静なジョセフが冷めた目でギーシュを見下ろす。 「な、何よ! あんた、今の話全部聞いてたってワケ!?」 相変わらず薔薇の造花を手に趣味の悪いふりふりな服を着込んだ少年は、あ、え、と言葉を選んだ後、はっと我に返ってジョセフに向き直った。 「薔薇のように見目麗しい姫殿下の後を付けてみればこんな所へ来たんだ! それでドアの鍵穴から様子を伺えば……ジョジョ、君と言うやつは何と大それた真似をッ……」 あまりのバツの悪さに心に浮かんだことを次から次へと並べ立てるが、そもそも事態は解決しているのである。 ギーシュは薔薇の造花を振り回して決闘だ、と言おうとした所で、波紋をたっぷり流された毛布で殴り倒された。 「げぼぁッ!!?」 「このドアホウがッ!! てめェ姫殿下の後をコソコソ付回すだけじゃなくてレディの部屋を盗み聞きしといてなぁにデカい顔しとるんかッ!」 ジョセフは倒れたギーシュを引き起こすと、コブラツイストをかけた。 「いだだだだだだッ! ギ、ギブキブギブっ!!」 「で、どうしますかの。姫殿下の話を不埒にも立ち聞きしとったようですが。とりあえず打ち首と縛り首のどちらにしましょうかの」 コブラツイストを解かないまま、アンリエッタに問いかける。 「ひ、姫殿下ッ……その困難な任務、どうかこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう……」 「てめェまだ懲りとらんのか! お前はモンモランシーといちゃついとれッ!」 「グラモン? あのグラモン元帥の?」 アンリエッタがきょとんとした顔で珍妙に身体を極められたギーシュを見た。 「む、息子でございますッ! 姫殿下ッ!」 懸命にジョセフから抜け出したギーシュはほうほうの体で跪いて一礼した。 「貴方も、わたくしの力になってくれるのかしら?」 「はッ! 王女殿下の任務とあれば、望外の幸せにてッ!」 懸命に忠誠を誓う言葉に、アンリエッタは優しげに微笑んだ。 「ありがとう、この学院にはわたくしに忠誠を誓う貴族がこれほどに多いことに喜びを感じます。勇敢なお父上の血を引く貴方の働きに期待します、ギーシュ・ド・グラモン」 「ひ、姫殿下が……ぼ、僕の名前をッ……」 喜びのあまり卒倒したギーシュを無視して、ルイズは真剣な面持ちで王女を見た。 「では明日の朝、アルビオンに向かって出発いたします」 「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます。アルビオンの貴族達は貴方がたの目的を知れば、ありとあらゆる手を使って妨害をかけてくるでしょう」 アンリエッタは机に座ると、羽ペンと羊皮紙を使って手紙をしたためる。 書き上げた文章をもう一度読み直し……幾許かの躊躇いの後、末尾に一行付け加えたアンリエッタが悲しげに何かを呟いたのは判ったが、ルイズには何を呟いたのかは判らなかった。 密書だというのに、まるで恋文を書いている様な切ない色が見え隠れしたのだが、それが何かを問いただすことも出来ず。胸の前で手をそっと握り締めた。 アンリエッタは書き上げた手紙を丸めると、取り出した杖を振る。すると手紙に封蝋がなされ、花押が押される。正式な書状となった手紙を、ルイズに手渡す。 「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を渡してくれるでしょう」 そして王女は右手の薬指から指輪を引き抜くと、それもルイズに手渡した。 「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです、お金が心配なら売り払って路銀にあててください」 ルイズとジョセフは、深く頭を下げた。 「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹きすさぶ風からあなたがたを守りますように」 王女殿下が部屋を去った後、姫殿下への無礼を責めるルイズと、臣下だからこそ君主の非を指摘するべきだと主張するジョセフの間で、大討論が繰り広げられた。 トリステイン代表ヴァリエール公爵家三女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国代表ジョースター家当主ジョセフ・ジョースターの対決は夜が明けてもなお決着がつかなかった。 途中で意識を取り戻したギーシュは二人の余りの剣幕に嘴を端挟むことさえできずこっそりと自室に帰り、目覚めたデルフリンガーは眠る前より事態が悪化していることを知り――泣いた。 To Be Contined →
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パーティは城のホールで行われた。明日の夜を迎えられない王党派の貴族達は園遊会のように着飾り、御馳走が所狭しと並べられたテーブル達の間に立ち並んでいる。 ジョセフ達は華やかで物悲しいパーティを会場の隅で眺めていた。 パーティの最初に行われた、若きウェールズ皇太子と年老いた国王ジェームス一世のスピーチは臣下を思う王の意気と、死をも恐れぬアルビオン王党派の誇りを改めて証明するものだった。 王は臣下に暇を出し、臣下達は誰一人としてヒマを受け取らず、死のみが待つ戦に赴くことを躊躇わない。 ただ立ち上がるだけでさえ足がよろめくほど年老いた王は、揺ぎ無い忠誠を誓う家臣達を見つめる目に涙を浮かべながら、アルビオン王国最後の宴の始まりを高らかに宣言した。 こんな滅亡寸前の王国にやってきた賓客が珍しいらしく、借物の正装に身を包んだルイズ達の元に貴族達は代わる代わるやってきては酒を料理を勧めてくる。 まだ宴が始まったばかりだというのに、酒が回っているかのように陽気で朗らかに振舞う貴族達は、明日死に赴く悲壮さを微塵たりとも感じさせない。 そんな彼らの誰もが最後に「アルビオン万歳!」と叫んで去っていく。 さしものジョセフもこの宴を馬鹿正直に楽しめるはずもない。だがそれでもジョセフは貴族達に愉快な冗談を返し、彼らの喧笑を巧みに引き出していた。 タバサは勧められた料理を次々と胃袋に収め、キュルケはあくまで宴の雰囲気を崩さぬよう、優雅と気品を漂わせて貴族達との会話に花を咲かせていた。 ギーシュもややぎこちなさを感じさせるとは言え、それでもなお懸命に明るい場に相応しい振る舞いをしようとしていた。が、結局耐え切れなくなったのか会場の隅に座り込んでいた。そんなギーシュを見つけたウェールズが彼に歩み寄ると、二人で何やら会話を始める。 ワルドは社交辞令を巧みに用い、どこに出しても恥ずかしくないパーティ向きの態度で貴族達と語らっていた。 しかしルイズは明る過ぎて物悲しいこの宴に耐え切れなくなったらしく、静かに首を横に振ると外に出て行ってしまった。 足早にこの場を去ろうとする主人の姿に、ジョセフは手に持っていたワイングラスをテーブルに置くと自分もホールを去ってルイズの後を追いかけた。 城中の人間がパーティ会場に集まっている今、城内はまるでホールとは別世界のように静けさと月明かりばかりが支配する広大な箱庭と化していた。 真っ暗な廊下を、ジョセフは波紋の灯りを集めた右腕をかざし、時ならぬ太陽光を頼りに歩く。誰の気配もない以上、特に波紋を隠す必要もない。 やがてホールの喧騒も届かない礼拝堂に辿り着くと、ルイズがそこにいた。 ステンドグラス越しに堂内を照らす月明かりの中、長椅子に座った少女は微かな嗚咽を漏らし続けていた。 始祖ブリミルの像へと続く長いすの間に敷き詰められた絨毯の上を歩いていくと、ほのかな波紋の光に気付いたルイズが後ろを振り向いた。 泣いていたことを何とか隠そうと目元を何度も拭うけれど、拭っても拭ってもルイズの両眼からは涙が止まることはない。 やがてジョセフがルイズの横に腰掛けてしまえば、ルイズはたまらなくなってジョセフの胸に顔を埋めて抱きついた。 ジョセフが来るまでも、ジョセフが来てからも、必死に泣くのを止めようとしていたが、堤防に押し留められていた水流が堤防を破るように感情があふれ出し、迸った。 子供……いや、赤ん坊のように縋り付いて泣きじゃくるルイズを、ジョセフは無言のまま両腕で頭を包み込んで抱き締めた。 パーティが続いている城内で、わざわざ礼拝堂に来るような奇特な人間はいない。ルイズはひたすらに泣き、流す涙も枯れた頃、充血した目でやっとジョセフを見上げた。 それでもしばらくはしゃくり上げる声にならない音が小さな唇から漏れ続けていたが、それも大分落ち着いてきた頃、ルイズは悲しげに言った。 「いやだわ……、あの人達……どうして、どうして死を選ぶの? 訳判んない。姫様が逃げてって言ってるのに……恋人が逃げてって言ってるのに、どうしてウェールズ皇太子は死を選ぶの?」 ジョセフはルイズを胸に抱いたまま答える。 「直接聞いた訳じゃないが、殿下は王族としての責任を果たすために死地に向かおうとしとる。生き延びるより壮絶に討ち死にしなきゃ守れないものもあるっつーこっちゃないんかの」 「……何よそれ、よくわかんないわ。愛する人より大事なものがこの世にあるって言うの?」 「あると言う事だろうな、少なくとも殿下にはな」 「わたし、説得する。もう一度説得してみるわ」 「多分ムリじゃろうな。ルイズでもなくてわしでもな」 「どうしてよ」 「レコンキスタのやり口からして、皇太子がトリステインに亡命なんかしたらレコンキスタがトリステインに攻め込む口実を与えることになる。んーまァそうでなくても、何か難癖つけて攻め込んでくるだろうがなッ。 大きな理由としてはそれが一番だろうが、わしはもう一つ理由があると思っている」 「……何よ」 「アンリエッタ王女がゲルマニアの皇帝と政略結婚せねばならんというのを知ってしまったからじゃ。ブリミルに誓った永遠の愛は今でも皇太子の中に根付いておる。そりゃあ皇太子だって自分の好きな女を他人なんぞに渡したくはねーわな。 だがレコンキスタがいつ攻め込んでくるか判らない状況で、ゲルマニアと同盟を結べないトリステインは一溜まりもなかろう。 アルビオン王国は明日滅びることは確定、トリステイン、引いてはアンリエッタ王女を救う為には自分ではなくゲルマニア皇帝と結婚させる以外に道はない。 故に、王女の未練の種になる自分が立派に討ち死にしてみせることで、王女の中から未練を取り払おうとしている、わしにはそう見える。 愛する女に生きていて欲しいからあえて死んでみせる、わしの世界でもそういうこたァしてのけられる奴はそうはおらん。ウェールズ皇太子は随分と立派な皇太子じゃよ」 それに、とジョセフは思った。 もし生き延びてしまえば、王女が馬の骨に嫁ぐのを見送らなければならない。 (そいつぁイヤじゃよなァ) だがそれは言わない。言ってしまえばこれまでの話がダイナシになる。 ルイズはぽつりと、呟くように言った。 「早く帰りたい……トリステインに帰りたいわ。この国嫌い、イヤな人達とお馬鹿さん達でいっぱい。誰も彼も自分のことしか考えてない。残される人たちのことなんて、どうでもいいんだわ……」 若い少女に、全てを察しろというのは酷な話である。だからジョセフはその言葉を否定も肯定もせず、ただルイズの小さな頭を撫でていた。 「でも、でも……!」 ルイズはジョセフのシャツをぎゅ、と握り締めて、搾り出すように呟いた。 「例え結婚できなくったっていいじゃない! 好きな人が生きててくれればそれだけでいいのに! 死んだら二度と会えないのに!」 ヴァリエール公爵家三女でもメイジでもなく、ルイズという一人の少女の言葉だった。論理的ではないが、一理ある。 ジョセフは黙って、胸の中に抱いたルイズの頭を撫でている。ルイズは頭を撫で続けられながら、はっとした顔でジョセフを見上げた。 「……ジョセフ、右手出して」 「右手か?」 包帯が巻かれた右腕を差し出すと、ルイズが手ずから包帯を解いていく。包帯が取られてしまえば、昨夜電撃で焼け焦げた無残な火傷の痕は、既に殆ど治っていた。 ほぽ治りつつある腕を見て、安堵の溜息を漏らした。 「……良かった、殆ど治ってる」 「心配してくれたのか?」 その言葉に途端に真っ赤になった顔で、あ、う、と言葉にならない声を断続的に発し、その後でちょん、と脇腹をつついた。 「……私を守るためにあんな大怪我したんだもの。心配だってするわ――ってカンチガイしないでよ! 使い魔がケガしたんだから主人が心配するのなんて当たり前じゃないの!」 何も言っていないのに一人でヒートアップしてあたふたと言い訳を始めるルイズを、もう一度ジョセフはわしゃわしゃと撫でた。 「ルイズは本当に優しい子じゃな」 「ななな何を言ってるのかしらこのボケ犬!」 茹で上がったタコのような顔で懸命に反論を試みるが、ジョセフはただ優しげに微笑んでいるだけだった。 やがてルイズがジョセフの腕から離れると、もう一度長椅子に座り直した。 しばし静寂が二人を包む。その沈黙を破ったのはルイズだった。 「ワルドに、結婚しようって言われたの」 「……そうか」 無感情に答えたのは、感情を出すと殺気じみたそれしか出ないのが判っているからだった。 「ワルドは……憧れの人だったわ。もしかしたら初恋だったかもしれない」 けれどルイズはジョセフの返答につっかかりもせず言葉を続ける。 「でも……今はどうなのか、自分でも判らないのよ」 互いの父が交わした結婚の約束。頼り甲斐があって優しいワルド。 幼いルイズがぼんやりと思い浮かべていた未来、それが現実になろうとしているのに、今のルイズはそれを無邪気に喜ぶ気にはなれなかった。 明日滅びる国を目の当たりにしているからだろうか。違う。 親友の思い人が死地に向かうのを見送らなければならないからだろうか。違う。 十年前の美しい思い出、十年も経った昔の思い出。 魔法衛士隊グリフォン隊の隊長になったワルド。昔の思い出のまま、再び自分の前に憧れた憧れの人。 そんな彼が結婚しようと言ってくれたのに。どうして、使い魔の老人に相談なんかしているのだろうか。 自分でも判らなかった。だから答えが欲しかった。 今、自分の心に影を差しているものの正体が、知りたかった。 「……ねえ、ジョセフ。結婚ってどんなもの? ジョセフが結婚した時、どんな気持ちだった? 結婚したら何が変わった? ――どうして、結婚したいって思ったの?」 混乱した心を映す様に、ルイズの問いは順序を得なかった。 ただ心に浮かんだ由無し事を問いかけただけだった。 不意の質問をぶつけられたジョセフは、ふむ、と顎に手を当て考えた。 「そーじゃなァ、んじゃわしとスージーQの馴れ初めから話すとするか。わしがエリザベス母さん……その時はリサリサと名乗っていたが、母さんの召使をしていたのがスージーだった」 「え……ジョセフって貴族なんでしょう? どうして召使と……」 「んあー、わしの世界じゃ五十年前でも身分制度がかンなり平坦になっとったからのォ。わしを育てたエリナお祖母ちゃんもその辺りは気にしない教育をしとったからな。後で結婚した時ゃ普通に喜んでくれた」 ふむ、とステンドグラスを見上げて咳払い一つ。 「スージーは小生意気で小憎たらしくて大分粗忽モノだったが、なかなか可愛かった。まー憎まれ口ばっかり叩き合ってたが、嫌いじゃあなかった。 で、柱の男達との決着をつけたわしは幸運にも漁船に助けられ、一命を取り留めた。ちょーどわしを助けた漁船のオヤジが母さんと知り合いだったんで、そのまま館に運ばれて療養することになった。 あん時ゃマジで死ぬかと思ったわい。左手ブッた切られるわ火山の噴火に巻き込まれるわものすごい高さから海面に叩きつけられるわ左手に海水がシミてそりゃーいてェのイタくないの」 「話が横道にそれてるわよ」 ジト目のルイズのツッコミに、ジョセフは悪びれず答える。 「まァまァ、そんだけ大変だったんじゃ。で、あれやこれやバタバタしてたもんで館にゃわしとスージーQとシュトロハイムだけだった。で、シュトロハイムに迎えが来て、その場しのぎじゃが義手も貰った。でも満足に動けんかったんで、スージーに看病されっぱなしでな」 右手で顎を弄りつつ、五十年前の光景を思い出す。 「ありゃー、もうそろそろ春になる頃合で、三月になったばかりにしちゃけっこう暖かい昼のことだったな。ベッドに寝転がってスージーにリンゴむいてもらってな、食ったんじゃ。 それがなんかえらくウマくてなァ、スージーと一緒に食べてうめェうめェって言い合っとったんじゃ。で、食い終わってもう一つリンゴむいてもらったんじゃが、その時のスージーの横顔がえっれェキレーでなァ」 脳裏に刻み付けたその光景を思い起こし、ジョセフはニシシと笑う。 「その時直感した、『こいつとならけっこーウマくやっていけるんじゃね?』とな。で、『結婚しちまおうぜ、スージーQ』と考える前に口に出とったな。スージーも驚いちゃおったが、満更でもない顔してニッコリ頷いたんじゃよなァーッ」 くくくくく、と膝をバンバン叩くジョセフだが、横で聞いていたルイズは呆れ顔だった。 何故いい年したジジイのノロケを聞かされなくてはいけないのか。 「ジョセフ、今の話の何処に私が参考になる点があったのかしら」 「本題はこっからじゃよ。結婚なんてそうメンドくさく考えるコトでもなくてな、やっちまえばそんな大したコトでもないんじゃな。逆に考えたら、本当に大好きな相手とならわしみたく考えんでスパンッと出来るようなモンなんじゃ。 だがルイズは考えてしまう。何故結婚を躊躇うンか、そこを自分の胸に聞いてみたほうが早いじゃろ」 「…………」 ルイズは、口を閉ざして思考に耽る。 何だろう。ヴァリエールの三女だというのにゼロだと笑われるおちこぼれメイジなのに、スクウェアメイジと結婚できるはずないからだろうか。 妻の話をするだけでこんな嬉しそうな顔する使い魔を元の世界に戻すまで結婚なんかしてられないからだろうか。 それは理由の一つだ。決して小さくはない。だが決定打じゃない。 じゃあ何、と考えようとして――ルイズの耳が真っ赤になった。 かなり早いうちにそこに行き着こうとはしていた。でもその考えを懸命に否定しようとしていた。だが何度考えを巡らせても、そこに辿り着く。 それが本当の気持ちなのかなんて、判らない。でも確かめる価値はあるんじゃないだろうか。 例え使い魔だろうと老人だろうと。 どんなに感情が高ぶった時でも、異性の胸に抱きついて縋り付いて泣いた事などなかったのだから。 意を決して、顔を上げる。そうすればじっと自分を見つめているジョセフと視線が合い―― 「ふんッ!!」 裂帛の気合と共に、渾身のチョップがジョセフの脇腹に入った。 「え、えェーッ!? わ、わし今何も悪いことしとらんぞ!?」 「う、うるさいうるさいうるさいッ!」 脇腹をさするジョセフから顔を背け、荒くなった呼吸と、胸の中で暴れる心臓を宥めにかかる。 これはマズい、これはどうしようもない。ここに来て目を背けている訳には行かなくなった。これは大きすぎる。これでは結婚できるはずがない。 たった今、自分の中を駆け巡った感情は、ワルドの側で感じた事はなかった。 (ど、どうしよう……いいえ、落ち着くのよルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! こういう時は素数を数えればいいってどこかの神父様が言ってたような気がするわッ!) そういう思考に走ること自体混乱のきわみにあるという事からも目を背け、ブツブツと素数を数えるのを訝しげな目で見られながら、何とか心拍数を平常に戻した。 ふぅ、と吐息を漏らしたルイズは、ちら、とジョセフを横目で見た。 「……ね、ジョセフ。さっきの話の続き……聞きたいわ」 「続きか? でも聞いてて面白い話でもないとは思うがな」 「……いいの。私が聞きたいの」 あの悲しいパーティに戻るよりは、幸せばかりが詰まったジョセフの話を聞いている方がずっといいだろう、と。まだ幼い少女にとって、幸せな幻想はまだ必要だった。 それからまた、ジョセフの昔語りが始まった。 色んな事があって、色んな嬉しい事や色んな悲しい事があって、色んな幸せな事があって。 (……ああ、やっぱり。ジョセフを元の世界に戻すまで……結婚なんかしてられないわ) と、責任感の強いルイズは思い。 (……そう言えば、ジョセフが奥さんにプロポーズしたのって……春先だ、って言ってたわ) ラ・ロシェールを出てからここまで張り詰め続けていた気が弛緩し、疲労が眠気を引き連れてきていた。 うっすらと波紋を纏うジョセフの真横は、何となく春の日差しの中にいるような心地よさ。 もうルイズに眠気に抗いきるだけの理由はどこにもなかった。 ジョセフの腕に寄ってしまった頭を引き戻す余力すらない。 (ああ……これなのかな。こういう気分だったのかしら……ジョセフが、結婚してもいいって思った気分って……) 緩やかに着実に眠りに落ちる直前、うわ言の様に、ルイズはジョセフに囁いた。 「ねぇ……後で、結婚断りに行くから……」 きゅ、とシャツの裾を摘んで、言った。 「一緒に、ついてきて……」 ことり、と眠りに落ちた。 * 故郷のヴァリエールの領地。忘れ去られた中庭の池。そこに浮かぶ小舟の上。 ルイズは、誰かの膝の上に座り、当たり前のように誰かに背中を寄せていた。 誰も知らない秘密の場所のはずなのに、この場所を知ってるのはもう一人だけのはずなのに。 目の前で誰かの手が器用にリンゴをむいている。 しゃりしゃり、と小気味良い音を立ててむかれたリンゴは、誰かの手で二つに割られる。 半分ずつになったリンゴをそれぞれの手に取り、それぞれがかじる。 まるで蜜のように甘かった。 二人で美味しい美味しいと笑い合って、食べ終わるとまた背中を預けて寄りかかる。 ふと手を上に伸ばして、誰かの帽子を手に取った。 それは羽帽子ではない。茶色でちょっとボロい帽子。 それを頭に被って、あははと笑う。 そんな、夢だった。 * キュルケ、タバサ、ギーシュはパーティが終わろうとするホールを後にし、給仕にどこで寝ればよいかを聞いた部屋へと向かっていた。 すると暗い廊下の向こうからこつこつと歩いてくる足音が聞こえ、ふとそちらを向いた三人は――開いた口がふさがらない、とばかりに口をぽかんと開けることになってしまった。 廊下の向こうからやってきたのはジョセフとルイズ……正確に言えば、ルイズをお姫様抱っこして歩いてくるジョセフの姿。 大好きなおじいちゃんにだっこされて安心して寝入っているルイズと、至極当然とばかりにルイズをだっこして歩いているジョセフ。 (なんというバカ主従……!) 戦慄にすら似た思いを抱くに至った少年少女の気持ちも知らず、ジョセフは声を掛けた。 「お、パーティ終わったか」 「あ、ああ……終わったよ、ジョジョ」 気分の優れない様子で頷いたのはギーシュだった。 「んじゃ、三人にちょいと頼みたいコトがあるんじゃが。頼まれてくれるか?」 ジョセフの頼みを聞いた三人は、首を傾げた。 「別に構わないけど……それで何をするの?」 三人の疑問を代表して聞いたキュルケに、ジョセフはニカリと笑うだけだった。 「ま、それは後で種明かししてやろう。何もなかったらごめんちゃいじゃがなッ」 くくく、と笑ったジョセフは、三人にどこで眠ればいいんじゃろか、と聞いて共に客人用の部屋へと歩いていく。 ルイズ主従にあてがわれた部屋は、二人用の部屋であった。粗末ではあるがベッドは二つあり、片方のベッドにルイズを寝かせて自分ももう片方のベッドに腰掛けた。 ややあって、ドアをノックする音が聞こえる。 「どちらさんかね?」 扉も開けずに声を投げる。 「私だ。ワルドだ」 「主人は寝ておりますがね。用があるなら明朝にでも」 他人行儀で無愛想な返事にも構わず、ワルドは冷たい声で言った。 「君に言っておかねばならない事がある」 「なんですかな?」 「明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げる」 「はあ」 ものすごいどうでもよさそうに答える。 「婚姻の媒酌を勇敢なウェールズ皇太子に頼めるならこれほど光栄なことはない。皇太子も快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕達は式を挙げる」 ジョセフは言葉が続く間、小指で耳をほじっていた。 「君も出席するかね?」 「挙げるんなら出席しますがね」 ルイズが既に断る気でいることは言わない。 「そうか。では主人の晴れの式に参列するといい」 くぁ、と欠伸をしつつ答える。 「了解しました。んじゃ用事はそれだけですかな」 「ああ」 それを最後に廊下を去っていく足音が聞こえる。 まだ安らかな寝息を立てるルイズを寝かせたまま、ジョセフは手洗いに向かった。 To Be Contined →